2010-10-01から1ヶ月間の記事一覧

手書きと打ち込み

私は小説はいったん紙で言葉をいろいろいじくりまわしてから、パソコンで打ち込んでいる。『教育哲学ノート』もまた手書きでノートでかいてからブログに打ち込んでいる。そのまま考えたことを打ち込むよりも手で書いたほうが思考がまとまりやすい<気>がす…

自己と他者の倫理を考える

『存在と時間』が細谷貞雄訳、ちくま文庫が実家の本棚にある。倫理学の問題で「これからおれ/わたしはどういきていけばいいんだろう」「あいつきらいだけど・・・・」と倫理学上の問題にハイデガーののこした『存在と時間』の爆破力はおおきい。 『有と時』…

音楽を考える

私は音楽は現象なのかどうか長年疑問におもってきた。フランスの現代思想家のジャック・デリダは『声と現象』のなかで<声>についてその問いについて誠実に思索をつんでいる。実家の沼津にはハイデガーの講義録である『現象学的入門への研究』がありそれを…

文学と哲学 『教育哲学ノート』より

文学作品から哲学することは可能であるが、その文学作品から「にじみ出る」感想を他者に語る倫理の可能性がなければ、その文学作品は<現在に生きたこと>にはならないと思う。夏目漱石の文学はわれわれの「こころ」をうつしだしていると筆者は未完の作品で…

哲学書をよむ 『教育哲学ノート』より

筆者はここのところ体調を悪くしてしまった。おそらく、カントの『純粋理性批判』をギリギリと万年筆で書き込みをしながらよんでいたことによるであろう。『純粋理性批判』に関する入門書は本屋さんであふれるほどあるが、<善い入門書>を選ぶには絶対に専…

 夏目漱石とヘーゲル 『教育哲学ノート』より

夏目漱石の文学は登場人物の心理描写が極めて巧みな論理で構成されている。ヘーゲルの『精神の現象学』の論理は『大論理学』が土台になっている。筆者はヘーゲル『精神の現象学』の「自己意識」を中心に夏目漱石の文学を読み解いていこうと考えた。「自己意…

自己と他者の「論理」 『教育哲学ノート』より

哲学書を書き写すという行為は身体をとおして哲学の営みを学ぶことに通じると思われる。しかし、最後までその営みが完了することは極めて難しい。なぜならば、他者の「論理」で表現された文章であるために自己の思い通りにはいかないためである。しかし、自…

音楽と言葉 『教育哲学ノート』より

言葉は「書くこと」と声として、また「発すること」として発達してきた。今日、残されている聖書や文学、哲学思想は言葉を「書くこと」によって人々に伝承されたものである。いずれにしても身体やこころの<うごめき>があらわれていることは間違いない。人…

バイオリン ちょうちょう とんだ

私はバイオリンで曲を弾くことができるようになった。キラキラ星変奏曲とちょうちょうは師のピアノ伴奏であわして弾いている。下宿での練習は相当「元気」がなければやらない。「元気」があるときはたいてい本屋にくりだして立ち読みしてブログを書いている…

カラマーゾフの兄弟とゴッド・ファーザー

私の家系はゴッド・ファアーザーあるいはカラマーゾフの兄弟の世界にきわめて近い。親戚が集まるとたちまち饗宴がひらかれる。「あのひとだれだろう?」と思っても頭をさげる。「どうだろう?」と思っても頭をさげる。所々おとなたちがささやきあっている光…

朗読生活

私は実家の沼津と大学の存在する京都の6畳の宇宙下宿、「場所」を問わずに書物の朗読をしてストレスを発散している。沼津では妹がいるので注意しなくてはならない。朗読する本はドストエフスキーがおもしろく、人間の魂を善く理解することができる。米川正…

レポートの問題 原稿用紙について ヘーゲル&カントスチューデント

大谷大学の専用のレポート用紙に『ヘーゲル 精神の現象学』の頭蓋論についてのレポートを書いたが、読みが甘いというよりも「この生徒はなにを書いているのか?」という印象を助教授にあたえてしまった。エッセンスは書けたが、これでは大学のそばの書店の読…

カフカ的小説 「死亡したことをたしかめるために医者はいない」

エス氏はコーヒーを飲んでいた。エス氏はお酒をまったく飲むことができなかった。ピンクというあだ名されていた看護師には「風邪もなおせないくせにどうして手術ができるのよ!まったく、たよりがいがあるんだかないんだかわかったもんじゃないわ!」と毎日…

『ヘーゲル 精神の現象学』頭蓋論に関する考察

筆者は頭蓋論を中心に医学や解剖学のあらたな地平をみいだすことにした。そのためにはヘーゲルの『精神の現象学』をドイツ語で学ばなければならないと思ったが、ドイツの医学の土地にふれながらヘーゲルの『精神の現象学』を学びたいと所望した。 日本哲学の…

論理ってなんだろう 『教育哲学ノート』より

ヘーゲルの『論理学』とフッサールの『イデーン』と『論理学研究』をひもといて、新しい<のらくらもの>のカウンセリングをやっていきたい。『イデーン』は人間の<意識の流れ>を考察し、ヘーゲルの『論理学』とフッサールの『論理学研究』はカウンセリン…

『戦争と平和』の恐ろしさ

ドラマの『戦争と平和』は実は恐ろしいことに2パターン存在する。ひとつはヒロインがオードリー・ヘップバーンの麗しい英語バージョンそしてもうひとつは<ソ連が国家の威信をかけた超大作>濃い演技と500分超えるしかも長い長い解説つきの問題作である…

ドイツ語映画の少なさと哀しみ

ドイツ語映画はあまりにも第一次世界大戦の影響でのんべんだらりとした内容がなく深刻なものばかりである。たしかに社会的なメッセージをうったえることはわかるが、深刻すぎて鬱状態になる。やはり一番いいのは『菩提樹』や『続・菩提樹』いろいろな音楽の…

『明暗』をよんでいて

夏目漱石の『明暗』は日本文学のバイブルといってもいいかもしれないが、夏目漱石が臨終間際の作品なため<切迫した雰囲気>がかもしだされておりあまりに<のめりこみ>すぎたり、速読すると神経衰弱になる恐れがある。密度が濃い。ドストエフスキーの『カ…

ドラマ『DR.コトー診療所』から考えたこと

敏腕な手術のわざをもちながら島におくられてしまった五島(ゴトー)先生、これまでの診療所の先生は信用できないと島民はそっぽをむく、医療設備の整っていない「場所」では大学病院の学閥や最先端医療に慣れてきた医師は<手をこまねる>しかない。そんな…

動く解剖学と医学

ヘーゲルの『精神の現象学』の頭蓋論からあたらしい解剖学をかんがえようとしているが、隔靴掻痒のドイツ語の文献をあたらなくてはならない。緊急医療の現場では0.5秒で判断しなければならないので「見た目で患者の人相を判断する」ことが必要なためヘーゲ…

カフカと涙の黙示録

エドワード・サイードとカフカの生涯を丹念におっていきたい。それはカフカの生涯を描いた自伝や評伝を読むことでもあるし、カフカ自身が書いた作品を読む行為でもある。エドワード・サイードはその発言と著作によって丹念におっていきたい。「どこにもある…

カフカ的小説 「骨格の問題」

ダブル氏はシマコさんとトランプをしていた。シマコさんは小説家で『心の錬金術師』という大河小説を書きおえたばかりだった。「つかれたわね・・・・・・やった!ストレート・フラッシュ!また、わたしの勝ちね。ジントニックおごらせてもらうわよ」「ちく…

叔父へ応援要請

引越しの応援要請をしたいのですが、どうかよろしくおねがいします。びわ湖付近の物件をさがして荷物をはこびたいです。このままだと孤独死する可能性がたかくなってきました。来週か再来週に時間の都合がとれたらひょっこりのぞいてみてください。びわ湖は…

動きの解剖学から考察する根源的主体性の生命 『教育哲学ノート』より

私はヘーゲルの『精神の現象学』(System der Wissenschaft)の頭蓋論をポイントに動感身体知(金子明友の概念)をひもとく解剖学を研究していきたい。解剖学に関しては三木成夫氏のゲーテのモルフォルギー思想を超越した生命の営みを踏まえた<生き生きとし…

ボサノヴァ

私はボサノヴァを<聴く>ようになった。これはツチヤ先生の口車にまんまとのせられたことに起因している。ボサノヴァはジャズよりも眠りを誘う。しかし、<のんべんだらりん>としたボサノヴァであるが、<リズム>は意外にも厳密に規定されている。だから…

やわらかな医療をめざして 『教育哲学ノート』より

私はドイツ・スイスにわたってユング派のカウンセラーになるために修行したいと考えている。そのためには、ドイツ語の語学力がなければ、困難だとおもわれる。京都にはGete Instituteという西谷啓治先生もメダルをもらったドイツ語の修行の「場所」ドウルー…

三人の親友

文章はペンあるいはえんぴつを紙でひっかくと書くことができる。しかし、何を書くべきかがここで問題になる。私は主として雑文とピーヒャラな小説しか書くことができない。神からもらったひとつの才能である。仏からは無口と<あんぽんたん>な頭脳をさずか…

カフカ的小説 「エム氏とクララ」

エム氏は哲学者で魂について考えていた。そして、意識のことも考えていたので周りの学生からは奇人あつかいされていた。ある日、金平糖の精クララがエム氏の現前にずかずかとやって来た。「時を求めて旅に出るのよ、考えるのはやめなさい」とエム氏は閉口し…

映画『瞳の奥の秘密』 理性の限界かあるいは正義の名のもとに

私は小説を書いているが、この映画は小説内の映画でもあるし映画内の小説でもある。人間の徳のなかの正義の限界と理性の限界は限られている。そのなかでどのように行為するか否かが問題になるのだが、この映画の主人公は両者ともに忠実だった。時間が流れて…

ながら学習

私はたいてい哲学書を読む時は映画をみ<ながら>、音楽をきき<ながら>よむことが大きい。人間は2つのことを同時進行でやるとどちらかが「ええかげん」になるが、ドラマ『虹子の冒険』で主人公の虹子が<二つのことを同時にできる>ことから銀座の頂点に…