2010-01-01から1年間の記事一覧

ヘーゲル『精神の現象学』というsystemの地図 misstion

序文所論(本文) Ⅰ 感覚的確信、或いはこのものと私念Ⅱ 知覚、或いは物と錯覚Ⅲ 力と悟性、現象と超感覚的世界Ⅴ自己自身だという確信の真理 A.自己意識の自立性と非自立性、主であることと奴であること B.自己意識の自由、ストア主義とスケプシス主義と不幸…

『まわる神話構想ノート』よりパート5

私は倫理学を考えるための物語をつむぎ出していきたい。アリストテレスが『二コマコス倫理学』を書かなかったら、今日の哲学の中の倫理学という学は存在しなかった、と恩師は書いている。日本の哲学のなかでも和辻哲郎の『人間の学としての倫理学』はハイデ…

『まわる神話構想ノート』よりパート4

『まわる神話』は村上春樹氏や泉鏡花氏、そして江國香織女史の文学を源泉として、またクラシック・バレエやコンテンポラリー・ダンスの経験から<滲み出た>ものからたちあげていくことにする。 私はクラシック・バレエやコンテンポラリー・ダンスを経験する…

『まわる神話構想ノート』よりパート3

映画はおもしろい。いろいろなおもしろさがある。専門家の視点と私のような素人ではフィルムに映し出されている映像のありさまが違うのである。或る人は「映画はひとりで観るものだ」と言い。別の人は「映画はただ観るものであって、そこから人生のなにかし…

『まわる神話構想ノート』より パート2

ロマンテック・バレエの最高作品ともよばれるクラシック・バレエ作品の『ジゼル』は日本の能楽と比較することができる。物語はアルブレヒトという貴族がロイスという偽名を使ってジゼルに恋に落ちてしまう。しかし、おなじくジゼルを愛していたヒラリオンと…

『まわる神話構想ノート』より

村上春樹氏の『ねじまき鳥クロニクル』をユング心理学の『心理学と宗教』によって私がひもとくことによって新しい神話を書くことにする。そして、ヘーゲル哲学の伝承も取り入れたいと考えているので、ヘーゲルの『精神の現象学』やヘーゲルの生きざまを描い…

『正法眼蔵』の導き 信と知の意識の問題  能楽鑑賞から考えたこと

私は坐禅を組むことが日課になっている。そのために古本屋で『正法眼蔵』をかって音読しながら坐禅をしている。監修者の西尾実さんは能楽の研究者でもある。 「西尾実さんここにもいたのね」 と思いながら青線をひきながら音読して坐禅。 道元禅師の息吹きと…

声と倫理 『教育哲学ノート』より

文学作品を音読する行為は小説や論文などの文章を書くときに大きな影響をあたえる。作家の心情が自己の身体に<憑依>する。この現象は音楽を聴いたときに自己の霊魂(Seele)が活動力を増すことに近い。作家の心情をつかむためには全集を通読することが一番…

バイオリンの出会い

バイオリンとの出会いは京都の音楽ショップで松田理奈さんがバイオリンの演奏会をひらいていたところにのこのこと私が存在していたためである。はじめて生でバイオリンの音楽を聴いた時は「バイオリンって弾くと鳴るんだ」という素朴な感動だった。そして、…

教会で祈りをささげる

私は大谷大学というシャクソン系(仏教系)の大学に通っているが、西洋哲学をとおして日本哲学にうちこみたいと考えた。もともと哲学をやりたかった理由は実家の沼津の図書館で西田幾多郎のビデオを観て「こんなすげーおやじがいたんだ、わけのわからないこ…

「声という存在」

音楽にはピアノの音がなくてはならない。バイオリンの音程を規定する時もピアノで<厳密に>規定していく。「声と音楽の存在が身体とこころにいかに影響をあたえるか」ということを考えた時、バイオリンの音を考えながらも、ピアノの音についても考えなけれ…

音読生活

私は対人関係が苦手で人前でまとまった噺をすることが極めて苦手である。そのために文章を書くことで意志を示してきたが、バイオリンを弾くことや音楽を聴くようになってからは<本の読みかた>が変わってきた。浄土真宗はお経をとなえる『大無量寿経』とい…

叔父の写真判定のすごさ

私の叔父は体操競技の国際審判員を一時やっていた経験があるので、完璧主義には定評がある。体操競技の写真をみせるとながながと論理を転回する。叔父の経験からにじみ出たものなのでまったく反論することができない。『パリ・オペラ座のすべて』という映画…

ballet で考えた自己と他者の倫理と家族のあり方

哲学の領域の倫理学を考える時、それはクラシック・ミュージックというよりもむしろジャズ・ミュージックであり、リアリズムに裏打ちされた古典落語なのかもしれない。文学もそこに流れている時間にはある種の音楽性がある。本質をついた言葉をつむぎだそう…

『めぐりあう時間たち』 川の流れのように時間はすすむ

私は人間の生き方や人間の生きている時間を考える時にこの映画を観る。作家のヴァージニア・ウルフは『ダロウェイ夫人』を書いている。彼女はひとつの人格として『ダロウェイ夫人』とヴァージニア・ウルフを同時に生きている。これは幸福な人生なのか私には…

『パピヨン』 極限状況下での友愛

実家でテレビジョンをみているといろいろな発見がある。それは下宿にテレビジョンが無いためであり、また哲学の啓蒙の息吹きなのかもしれない。特に映画を観ているとその紐解きをえられる場合がある。『パピヨン』という映画は極限の環境に人間がおかれたと…

沼津を歩く

私はノーベル文学賞を目指しているが、なにもしない。ただ実家の沼津をてくてくと古本屋をあるいたり、大型量販店をあるくだけである。これではフランツ・カフカ賞もとることはできないだろう。しぶとく本屋をめぐって本をながめる。重要なことは「本を読む…

カフカ的小説 「ガルパル氏の鞄」

ガルパル氏はいつも茶色の鞄を持ち歩いていた。鞄には二本の万年筆と携帯の手術道具、聴診器、何冊もの本と気付け薬が入っていた。飛行機にのっていたとき、前の座席のおこさまが本の題名をいった「NO body kows」覚え立ての英語だったようでかなり得意げな…

『楽園への道』ガルガス=リョサとブローデルの『地中海』から神話を考察してみる

ラテンアメリカの文学は密度が濃い。その濃さはロシア文学とはまたちがう。京都で『瞳の奥の秘密』という映画をみた。ラテンアメリカのエッセンスは陽気な中にも鋭い人生の機知が文体のなかにまきちらされている。数年前、ガルシア・マルケスの『百年の孤独…

『まわる神話』構想ノートより 1

『まわる神話』はヘーゲルの『精神の現象学』とカントの『純粋理性批判』を「誠実に」読み、ユングの『心理学と錬金術』で理念を<ときほぐす>ことを土台にして私の経験や聞き取ったideeを神話化することにしたい。倫理学上のことや心理学上のことももりこ…

読書の秋、本をよんでみる

A)IN作者: 桐野夏生出版社/メーカー: 集英社発売日: 2009/05/26メディア: 単行本購入: 2人 クリック: 44回この商品を含むブログ (54件) を見る まだ、読んでいません。ドストエフスキー的な香りがします。B)「働きたくない」というあなたへ作者: 山田ズーニ…

ローレライという乙女 妄想にも意味がある ユング心理学より

「わたしはローレライっていうの」 「そうですか(それが何を意味するのかわからない)」 ユングはその患者の意味がわからなかったが文献を調べてみると 『ローレライ』というドイツの歌(それが何をいみするかわからな〜い」からはじまる歌)が有ることを発…

生命(leben)を哲学する

私はうつ病きぶんの波が激しい。学校の校医の先生は「他者の論理にはたらきかけているから心配いらないよ」と助言をしてくださった。また「なんかあったら教えてね」とも実家には生命学者のヴァイツゼッガーの『ゲシュタルトクライス 知覚と運動の現象学』と…

夜 『教育哲学ノート』より

筆者は夜が好きではない。責任を背負っている心持ちがして<気>になって仕方がないのである。夜は意識がより深い無意識の部分があらわれてくる。心休まれば善いのだが、なかなか心休まる「時間」が無い。時代性なのか、筆者自身の問題なのか判りかねるが、…

ニーチェをよむ

古典の『ツラトゥストラかく語りき』を読んでいないと西谷啓治の『根源的主体性の哲学』を読むことはできない。また夏目漱石もまたなんども繰り返さないと身に染みてこない文学である。しかし『ツラトゥストラかく語りき』は稲妻のように読者の魂をわしづか…

『精神の現象学』の頭蓋論の世界をひろげるために

ヘーゲルの『精神の現象学』の頭蓋論の部分だけではひろがりがうすい。というよりもヘーゲルはおそらく重点をそこにはおいていないそのためにこの頭蓋論を現代の医学にひろげていくには難しいという理由があるとおもわれる。私は三木成夫先生の生命とリズム…

carpenters を聴いて

ロックの統治論のレポートをかいているとき、つねにカーペンターズの歌を念頭にしていた。「声の存在」とはいったいなんだろうという素朴な疑問からである。日本武道館のライヴのDVDをかりてその歌声の秘密にせまってみたり、歌詞をかきうつしたがいまだ…

構想ノート

長編小説『まわる神話』を書く構想ノートと『アリストテレスの日記 Aristoteres essey』を書き始めた。32歳までには10冊から20冊書きためてそこから一冊の本になるように無駄なところを飴をつくるように糖分をばんばんととばしていきたい。内容は本からの内…

人と人とのあいだのなかで 『教育哲学ノート』より

人と人とのあいだで会話の歯車がかみ合わないとき、自己がわるいのか、あるいは他者が悪いのか筆者は頭をかかえずにはいられない。自己には自己の経験の積み重ねがあり、他者には他者の経験の積み重ねがある。両者を取り替えることは残念ながらできない。自…

私は歩くヘーゲル

ヘーゲルは新聞を大切に読んでいた。そしてコーヒーをこよなく愛した。ヘーゲルは早口で声がききとりにくく冗談もさむいじょうだんしか言えなかった。『精神の現象学』はナポレオン・ボナパルトが戦争をしていたときにヘーゲルが借金で金欠の状態で書かれた…