手書きと打ち込み

 私は小説はいったん紙で言葉をいろいろいじくりまわしてから、パソコンで打ち込んでいる。『教育哲学ノート』もまた手書きでノートでかいてからブログに打ち込んでいる。そのまま考えたことを打ち込むよりも手で書いたほうが思考がまとまりやすい<気>がするのである。『教育哲学ノート』も小説も凄まじいほどエネルギーをつかう。できたものがピーヒャラこのうえない文章なのでいかんともしがたい部分が多々ある。
 哲学書にはかならず書き込みをする。和辻哲郎先生のような立派な書込ではなくこれもまたピーヒャラな書込みである。文庫は書き込みがきわめてやりにくいのでついついハードカバーを買ってしまうのできわめて金銭面での圧迫が激しい。そのために古本屋にいくことがあるが、古本屋の旦那も本の価値を熟知しているらしく、価値のあるものは高い。母にはいつも
「1日3000円でやってもらいますからね!」
と念をおされている。
 そのために全集をかう度胸がないのである。プラトン全集やトーマスマンの日記が紐でくくってあるとよだれがでる。一回、アリストテレス全集を発見したので
「ばら売りしてください」
といったところ
「すみません、ばらうりはできないんですよ」
とこたえられた。
 しかし、問題はたとえ安い哲学書でも帰り道が問題である。たいていの哲学書や文学全集は箱入りで重量があるので片道4㎞のみちのりをかついで帰宅することはかなりの体力の消耗である。あたりまえだが、乙女が文学全集や哲学書をかついでいるところを目撃したことはいちどもない。