2010-07-01から1ヶ月間の記事一覧

「運動現象と純粋経験」メモ②

筆者は京都におけるバレエの体験で運動現象について考えるようになった。クラシック・バレエは身体の<生き生きとした動き>(ベルグソンの思想)で表現される「芸術」である。筆者は西田幾多郎とウィリアム・ジェームズの<純粋経験>の違いを知るためにバ…

「運動現象と純粋経験」メモ①

筆者はモントリオール・メキシコ・ミュンヘンオリンピックにおけるsawaokato選手の体操競技の<動きかた>のなかにクラシック・バレエの<動きかた>に通じるものがあるのではないか、とかんがえた。sawaokato選手の<動きかた>は過去のもうすでに過去の<…

性とタブー

フロイトは性行為についての思想的言及がみられるが私は納得できないためユングの思想に傾倒している。フロイトを紐解くとかならず、思想的混乱をきたすし、ヒステリーの発作が身体にあらわれる。それにくらべるとユングは夢物語を解釈してあるのでこどもの…

京都と四ツ谷シンクロニシティ物語

私と四ツ谷の「縁」は浅いようで深い。四ツ谷付近にはさまざまな日本の権力の中枢が寄せ集まっている。アリストテレスは書物に紐解き「あれだ、これだ」と椅子にすわったまま支持をだした怠け者の哲学者である。晩年はアレキサンドロス大王の個人教師となり…

リリパットと哲学会話

私はできることならば、リリパットと7月28日〜7月30日にかけて今後の「生き方」について対話をしたい。なにしろ私は書物のなかに顔をつっこんでなかなか実践倫理の行為にうつさない、腰の重たい人間である。リリパットはリアリズムに裏打ちされた的確…

歎異抄と教行信証

現代語訳の歎異抄と教行信証をゲット。私のかび臭い下宿の『真宗聖典』には現代語訳がないので理解することに四苦八苦している。いくら座禅で禅体験を積んでいると宣言しても、共産党宣言にもなりゃしない。 ありがたいお経をりかいするためには現代語訳も一…

多元的宇宙

最近の下宿の状態はまるで宇宙である。どこになにがあるのか、どこから何の本がくずれおちてくるのか私は知ることができない。寝床をこしらえるために本を移動させるのであるが、なかなか置くスペースがわからないのである。恩師の薦めてくれた本を古本屋で…

単位の問題

後期の単位は着実に取っていきたいたいが、語学に対する「怖い」がなかなか払拭されないことが問題となっている。講義に出ることができなければ単位をとることができない。単位をとることができなければ、進級することができない。 そして、進級することがで…

「バカがブログの記事でわびとった」

間違いはいろいろある。いい間違い、勘違い、物忘れ・・・・私は人生においてすべてのカテゴリーを制覇してきた。小説家になると豪語したものの遅筆なことはものすごい。考えることが多すぎてなかなか筆がすすまない。阿呆で馬鹿なブログは面々と続いている…

最近の体調

私は最近体調が思わしくない。人間としての生活がかなりあやぶまれている。予備校時代、フェローさんが哲学の研究者を目指していたが、 「人間としての生活ができない・・・」 という理由であきらめた・・・・と語っていた。 夫は研究者として生活していると…

『まわる神話』その概要

『まわる神話』は哲学小説です。<私>が体操競技や友人たちの深層心理学や数学(整数論:素数と音楽の関係性)や流体物理学をまなんでいくうちに人間の魂についてかんがえさせられるという成長物語です。 参考文献としては 『イデーン』フッサール著 『純粋…

身体の動きの美しさの追求

私は身体からかもし出される美しさを追求するために文学作品の読み込みと、西田哲学の『思索と体験』、西田幾多郎哲学論文「場所」、『働くものから見るものへ』を朗読することにした。舞踊家が<まわる>時に指先やつま先から表出される美がわれわれの観客…

純粋経験とは何か? What is pure experience?

身体の美意識について考察するとき私はあくまでアリストテレスの視点でみつめていたいが、純粋経験というウィリアム・ジェイムズの概念と西田幾多郎の概念でかんがえていきたいと思う。ここで、<純粋経験>という哲学の概念を哲学辞典の記述からその定義を…

下宿の文化①

六畳のかび臭い下宿では文化活動が小さなポータブルDVDプレイヤーとバイオリンで転回(ケーレー)している。さいきんはもっぱらベートーベンを聞いて本を読むことに熱中している。ベートーベンの交響曲第7番と交響曲第9番は善い音楽である。指揮者がちがう…

経済観念をつけなくてはならなくなった。

私は切実に経済観念をつけなくてはならなくなってしまった。妹が獣医をめざすことになったのである。 「留年はゆるさないからね!節制しなさいよ!」 「わかった節制して生きることにするよ」 アリストテレスの息子(親戚に二コマコスがいるので息子かいなか…

夏休み論文を書く〜「運動現象と純粋経験」〜

私は夏休みを利用して大きなクラフト紙に青ペンで横書きで論文を書くことにしました。夏休み明けには正式な論文として大学院生のゼミナールで発表できたらと考えています。運動現象は主として私の体験にもとずいて、西田幾多郎の『思索と経験』のなかの「ベ…

hiroyukitomita先生のわざの美しさの原点

hiroyukitomita先生のわざの美しさの原点はベラルーシのВенедиктович Щербо(Vitaly Venediktovich Scherbo)先生の<動き方>におけるわざの美しさに触発されています。しかしそれだけではないでしょう。私はhiroyukitomita先生の美しさは絶え間ない基礎基…

アイルトンセナの静と動の調和

アイルトンセナにおける静と動の調和には日本の禅体験に共通するものが私にはかんじられる。このことは現代の体操界についてのことがわからないのでくわしくかくことはできないが、美意識においてアイルトンセナおよびこの同時代人のジムナストの<動き方>…

運動表現の考察について

私はオーケストラレーションとクラシック・バレエ、そして体操競技における運動表現を古代ギリシアの哲学者アリストテレスの視点から人間の魂の観照(テオーレイン)というみかたで考察することにした。 そのことの前提にプラトンの『国家』の読みこみによっ…

今月の講習会参加は無理

バレエの稽古で私の魂が削られてしまい、バレエの講習会の参加は断念することにした。人間は休まなければ浄土に逝ってしまう。 着替える「場所」にはVTRと「ダンス・マガジン」のバック・ナンバーがそろってあった。ひそかに研究ができそうである。 秋の発表…

バレエの講習会に参加する。

7月19日と7月20日のバレエの講習会に参加するのであるが、私はもうびくびくしている。まったく臆病な性格だ。昨日の稽古でもう魂はかなりけづりとられてしまった。もう 「真っ白になった明日のジョー状態」 である。しかもまた明日には午後19時からレッス…

着替える「場所」があたえられる。

昨日、私は着替える「場所」を与えられた。楽屋の蛇腹のカーテンでもそもそ着替えていたが、今度は立派な着替える「場所」があたえられたのである。しかもそこにはずらりとVTRがそろってあった。これはかくれてみてもいいよ的な暗示なのであろうか。しかし、…

カント哲学の噛み砕きにくさ

私にとってカント哲学はかなり噛み砕きにくい。基本的な概念をおさえつつ青ペンでマーキングしながら『純粋理性批判』(独:Kritik der reinen Vernunft)を読み進めているが、カントのぎりぎりと思考したあとを追体験するのでかなり苦しいものがある。 「く…

『まわる神話』についての覚書き

『まわる神話』は体操競技とクラシック・バレエをカクテルした内容にしたい。体操競技とクラシック・バレエの<おもしろさ>がおこさまにもわかりやすく<わかる>ことができる神話にしていきたい。そのためには体操運動理論の鼻祖であるakitomo kaneko先生…

クラシック・バレエにおける<動き方>

クラシック・バレエの<動き方>は見て覚えることが大切である。いわば、<見取り稽古>であろう。クラシック・バレエにおける<見取り稽古>は<私のバレエ>をつくりあげる上でとても大切なことである。そのことは、先輩たちの眼鏡をはずた私のぼんやりと…

単位の問題

私は大谷大学に在籍しているが、単位がかなりヤバイ。語学の授業はすべて欠席しているし、哲学演習の授業もまったく出席していない。母の検察官なみの尋問には 「でてる、今日2限目ドイツ語があってでたよ(うそ八百屋長)」 「そう、出てるならよかった」 …

私は如何にしてノベール文学賞をねらうことになったか。

私が大谷大学に入学した時、国際文化学科の先輩である津村記久子さんが『ポトスライムの舟』で芥川賞を受賞した。 「なんでピースボートのポスターとXのポスターが一緒にはってあんやろ」 という問いが原点となり物語はどんぶらこと日常を淡々と亀のようには…

建具職人

私の祖父は建具職人だった。浄土にいる祖父もいまごろ建具をつくっているのであろう。私は継ぐことはできなかった。生来の怠け者のためであろう。そして、哲学の道に入るはめになった。人間の魂の探求と救済のために、こう書くといかにもうさんくさいがその…

『まわる神話』

私は現在『臨床哲学の手記』(ノートに手書き)と『まわる神話』(模造紙)を手書きで青ペンで書き付けている。『臨床哲学の手記』は『シャトレ哲学史』アリストテレスに関する記述と『藤沢令夫著作集Ⅰ』の「運動と実在」を書き写そうと考えていたが、私の体…

ドイツ語修行(http://www.onichi.co.jp/index.html)

私はもし東京の四ツ谷で小部屋をこしらえて小説や論文を書いて、大谷大学に心理学や哲学の智慧をえっちらおっちら輸入することができたら本望であるとかんがえている。そのためにドイツ語の修行をすることにした。古典ギリシア語のまえにドイツ語とロシア語…