論理ってなんだろう 『教育哲学ノート』より

 ヘーゲルの『論理学』とフッサールの『イデーン』と『論理学研究』をひもといて、新しい<のらくらもの>のカウンセリングをやっていきたい。『イデーン』は人間の<意識の流れ>を考察し、ヘーゲルの『論理学』とフッサールの『論理学研究』はカウンセリングにやってきた人の「ここは論理的に違いますよ」とさりげなく示唆するだけでおどろくほどかわっていく。
<認知のゆがみ>は論理学の力をかりるとおどろくほど善くなる。なぜならば、人と人との間には論理があるためである。
そのために、小論文の指導などにはヘーゲル哲学を体系的に修めた人が善いのか、あるいはアリストテレスから続いている伝統論理学を修めた人が善いのか、それとも仏教の龍樹が「中論」で組み立てた東洋の論理学をおさめた人が善いのかは、まだわかりかねるところがある。
 いづれにしても、ヘーゲルフッサールもドイツ語圏の哲学者なので一回日本語でさらってから、ドイツ語の原文にふれるようにしていきたい。それまでにはまだ筆者は時間が要するようである。
 なお、フリーランスで活躍している山田ズーニーさんは血のかよったカントさんなのかもしれない。「書くよろこび」「書くくるしみ」が生徒対教師のあいだでくりひろげられてボクシングの様相を呈している。
 小論文の指導は付け焼き刃ではつかない。2〜3年の修行が必要である。予備校時代に小論文を書いて添削してもらったが、びっしりと赤ペンでかかれていたので、「ここはいいけどこれはまずい」の「これはまずい」が添削者がきちんと判断できるということに驚きをかくすことができなかった。他人の書いた文章を客観的にみるということは相手の顔にパンチをくらわすことに近い。そのために正解のない哲学の領域の判断の問題がでてきそうな気がしてならない。