文学と哲学 『教育哲学ノート』より

 文学作品から哲学することは可能であるが、その文学作品から「にじみ出る」感想を他者に語る倫理の可能性がなければ、その文学作品は<現在に生きたこと>にはならないと思う。夏目漱石の文学はわれわれの「こころ」をうつしだしていると筆者は未完の作品である『明暗』読んでいて痛いほど感じた。しかし、困ったことに夏目漱石の作品を味わうためには何度もくり返し読む必要がある。日本哲学のなかでは京都学派の西谷啓治がその巧みな心理描写と豊饒な<香り>を倫理学の問題として考察している。
 筆者はユング心理学智慧を生かしてトーマス・マンの『魔の山』や泉鏡花文学を「ゆっくり誠実に」そして「何度でも読むこと」によって和辻哲郎のように原稿用紙にむかって血をそのままペンで書くようにみづからの思索を転回していきたい。
 このことは古本屋で泉鏡花作品と和辻哲郎の『人間の学としての倫理学』、『精神現象学』樫山 欽四郎訳を「本からよばれるように」惹かれたことに起因する。
 筆者は『精神の現象学』の原書である“Phänomenologie des Geistes”をノートに和訳と照らし合わせながら万年筆で書き写し、高野長英の時代のようにたいせつな原書は<書き写すという行為>で学ぶという姿勢を実践していきたいと考えている。原文にふれることで「こころとからだ」について考察していきたい。しかし大切な原書は図書館のものなので、借りたり返したりを繰り返すことは免れないであろう。