哲学書をよむ 『教育哲学ノート』より

 筆者はここのところ体調を悪くしてしまった。おそらく、カントの『純粋理性批判』をギリギリと万年筆で書き込みをしながらよんでいたことによるであろう。『純粋理性批判』に関する入門書は本屋さんであふれるほどあるが、<善い入門書>を選ぶには絶対に専門家の意見を聴かなくてはならない。入門書は入門書を書いた人の考えや<生きざま>があらわれてしまっているので、『純粋理性批判』をよみたい!と思ったら「自分で!」読むしかないのである。しかし、カントの思索は筆者の経験上まさに「頭痛の種」である。頭のこめかみに錐でキリキリと穴をあけているような痛みがはしり、本を床にたたきつけたこともある。『純粋理性批判』のなかの心理学と霊魂(Seele)の概念を組み合わせて、その考えをレポートにして、そこからあらわれたことを土台にして『ヘーゲル 精神の現象学』の頭蓋論から医学や心身医学の問題にせまってみたいと考えた。
 『純粋理性批判』はまさにダイヤモンド、『ヘーゲル 精神の現象学』は銀のような輝きを放っている。『ヘーゲル 精神の現象学』の下巻(金子武蔵訳)では、人倫の問題がドラマティックに転回されている。筆者はこの部分をどうあつかってよいのか手をこまねいている。この部分は政治的色彩が強い。しかし筆者はむしろ上巻の「自己意識」や「理性」の問題、頭蓋論の問題から<こころとからだ>の問題にせまっていきたいと考えている。
 そして、ユング心理学で上記の霊魂(Seele)の問題をくみあわせていき教育や医学の「場所」、また文学作品の「見えないものへの<眼差し>」について考察していきたい。