『まわる神話構想ノート』よりパート4

 『まわる神話』は村上春樹氏や泉鏡花氏、そして江國香織女史の文学を源泉として、またクラシック・バレエコンテンポラリー・ダンスの経験から<滲み出た>ものからたちあげていくことにする。
 私はクラシック・バレエコンテンポラリー・ダンスを経験するときに<幽玄>や<もののあはれ>を具現化していくことにする。そして<触発される身体>を目標像としていくことにする。<触発される身体>とは「あれは<ぼく/わたし>でもできそうな簡単な舞いだ」と他者が魂のなかで響くことがねらいである。
 なんともエゴイスティックでニヒルな響き。あくまでも目標像なので具現化することは難しいかもしれない。
 京都学派における考え方については、オーケストラの倫理にきわめて近い。西田幾多郎がコンダクター(指揮者)であり、田辺元がバイオリンを弾いてのコンサートマスター。そして西谷啓治がピアノを弾いている。京都学派はドイツ観念論ヘーゲル哲学、そしてフッサール現象学、またハイデガーの思想を日本風にアレンジしている。
 このことは文学においても同様なことであろう。夏目漱石の文学にはフッサール現象学の影響や<倍音の文学>としての在り方に通じるものがある。人と人との間柄について考察した和辻哲郎もまた夏目漱石の文学を倫理―すなわち人と人との交わりについての問題について考える時に大きな源泉となりうるだろう。
 このことは私が家族の人間関係や幼少期から現在にいたるまで親戚一族の喪の「場所」数多く立ち会った経験に由来している。
 中学から高校にかけて数多くの友人の助けで<今・ここ>に私は存在している。友人たちの助言や眼に見えない助けがなかったら、現在私は大学で哲学することができなかったであろう。
 特に中学時代の三人の親友は<言葉のあいだ>や<いわずもがな>の間柄である。現在、三人はいつ・どこで・何をしているかについては私はまったく関心が無い。なぜならば、私が三人の親友を魂をわかちあった親友とみなしているためである。三人が私をどう思っているかはわからない。
 高校時代はなかなか授業に出られず村上春樹氏のの小説や吉行淳之介氏の小説を読んでいた。体調に波があったために1年間休学して県立図書館で現代思想、特にメルロ=ポンティ木田元氏のエッセイを参考にしながら県立図書館の近くの駅から実家の沼津駅までのあいだにゆっくりと読むことができたことは私の財産である。
 そのうちに「なぜ私が生まれてきたのか」という存在理由について県立図書館から実家にもどるまでのあいだに善く考えるようになった。陸上競技をはじめた理由も「足が速くなりたかった」というだけで、陸上競技をはじめた当初は存在理由の実感にはならなかった。
 私は何をしても存在理由がありありと浮かび上がる程の体験をじっかんできずに、その答えを探すために哲学書や小説を読んでひたすら考えた。時には坐禅を組んで「無」の状態に自己を落とし込んでこともしたが、実感することができなかった。
 
 しかし、たった一度だけ自己の存在理由を実感できた瞬間があった。それは陸上競技仲間との大きな大会の終わったあとの<けだるさ>と<余韻>にひたりながら電車の窓辺にうつる夜とも夕方ともわからない景色をを見ることができたという経験である。そのときの<雰囲気>は筆舌に尽くしがたいものがある。
 ただ、なんとも美しい景色だったことは覚えている。これがおそらく私を<幽玄>や<もののあはれ>の日本の美意識にひきよせられている理由なのかもしれない。なにしろ、私はどっちつかずの性質で大切なことを先延ばしにしたり、叔父のように合理的に物事を計画立てて行うことがきわめて苦行に等しいほど苦手である。そのために数多くの恩師や友人の助けを受けた。
 これからは義務と責任を生成する以前から考察することにして、美学についてこうさつしていくことになるであろう。