2010-10-01から1ヶ月間の記事一覧

『失われた時をもとめて』はよく眠れる本

ドストエフスキーの作品群は夜読むと眠れなくなる本である。これは私が長年の経験から実証された。トルストイの作品群は人間関係のうざったさを一掃してくれるので人間関係にストレスを感じている人間は『戦争と平和』を読んでみると善い。しかし、登場人物…

ゴルギアスは長い

私は眠る前に『ゴルギアス』を朗読している。対話編なので人間関係がヘタクソな人間はこれを読むと人間関係がやや円滑になる。アリストテレスの書いた『二コマコス倫理学』にもそのイデアが伝承されている。発声練習とストレス解消にプラトンの対話編の朗読…

写真の問題

文章ばかりで味気がないので電動写真機導入を思案している。何気ない風景、余情をたたえた写真もわるくない。また身体の冒険にたびたったときもまたその道程が写真となってあらわれるかもしれないが、なるべく安い電動写真機にしないと母の説教が弁証法によ…

本屋での学び―学び舎としての本屋という存在―

私は学校のでの学びよりむしろ本屋で立ち読みして学ぶタイプの人間である。心理学コーナーの本をぱらぱらめくると古本屋であれば大抵赤線の傍線や鉛筆の傍線がひっぱってある。そして<これを読んでくれ>と言う本は縦にならんだ本棚からはずされて<横積み…

pada先生と同棲することをdenkenする

私はあまりに蔵書が増えすぎたためと、後期の授業が『死にいたる病』の状態で文筆活動も極めてやりづらいのでpada先生のびわLikeでdenken生活することをdenkenしている。ada先生はいろいろなことに詳しいわけではない。<ひとつ>知りたいことに<がつん>と…

粘土のような魂(アニマ)の解剖

私は哲学の門をくぐったがいまだに単位をとっていない。まなけものの証拠である。将来に不安を感じずにはいられない。私はユングの著作を読んだり、カントの3批判書、ヘーゲルの『精神の現象学』の原書を写経して心身の問題、医学と教育の「場所」の問題に…

哲学することについて

私はフランスの哲学者アンドレ・コント=スポンヴィルの『哲学』を序章を読んで彼の誠実な学的精神におどろきを隠すことができなかった。フランスのシャンソン歌手ブリジッド・バルドーをを思わせるエロティックな文体は「フランス語ほど明晰な言語はない」と…

pada先生とのカウンセリング

私は何人もの恩師とカウンセリングをうけて弾道を軌道修正されている。単位を修得できないと2回生にあがることができないがメランコリー親和型の躁うつ病のために認知のゆがみがかなりひどい。趣味は臨床心理学とバイオリン。大谷大学のpada先生とは音楽の…

歩くヘーゲル

リックサックにヘーゲルをいれているためか腰が痛くなる。不眠症対策にウォーキングをしているが、金子武蔵先生訳の『精神の現象学』は名訳であるために重量がある。腰痛の原因を長年考えていたが、やはりこれであった。長谷川宏先生の『精神現象学』は金子…

教育哲学って何だろう 『教育哲学ノート』より

教育哲学を考察する上で京都学派のイデーをないがしろにすることはできない。たしかに、京都学派は西洋の伝統的な思想体系を受容し、日本の美意識や禅体験やインド哲学を組み合わせながら鮮やかなシンフォニィーを奏でている。西洋の哲学を日本人が受容する…

引越しをdenkenする。 

私の下宿の蔵書はもう100冊を超えてしまった。祖母がアルツハイマー型認知症に罹患してしまったためになんとか哲学を認知行動療法や臨床心理学にむすびつけて考えていこうとあせったために書物だけの世界に没入するとういう主観と客観が逆転するという主客逆…

座禅三昧

私は下宿に帰宅すると座禅を組むことを日課にしている。20分間座禅を組み、両手をひろげてひざに乗せ座禅の「空」の状態からヨガの瞑想へと移行する。そのあと開脚して呼吸をととのえ首倒立にもちこむ。首倒立のときには体操競技における平行棒競技のあふり…

医学ドラマを見る日々

私は<臨床>という響きにつられて医学系のドラマを観照している。手術シーンは生死の彼岸、善悪の彼岸が波のように寄せてきえ、寄せては消える。看護師、臨床工学技師、執刀医、助手、麻酔医、外回り、病理解剖係・・・・が絶妙な連携プレーをもって手術は…