経済観念をつけなくてはならなくなった。

 私は切実に経済観念をつけなくてはならなくなってしまった。妹が獣医をめざすことになったのである。
「留年はゆるさないからね!節制しなさいよ!」
「わかった節制して生きることにするよ」
アリストテレスの息子(親戚に二コマコスがいるので息子かいなかはまだ学術的にわかりかねるらしい)の二コマコスは医師であったが、妹は息子ではない。妹は数学が私の77倍できる。私も数学ができればもっと要領がよく生きることができると考えて、西田幾多郎記念哲学館で数学を学んでいた人の講演会を聞いたが、話はまったく数学とは関係のない話だった。

 しかし、「人間のこころ」のありかたや私自身をみつめなおす善い経験となった。その人は経済学を学んでいるらしい。
「私の恩師の先生が「西田哲学を数学だ!そしてインド哲学なんだ!」といったので私はこの先生についていけないとおもったので経済学にくらがえしました。『善の研究』をよんだがさっぱりわからない!河村肇の『貧乏物語』を読んで感動しました。あれは善いですね〜私はそれがきっかけで経済学に鞍替えしたんですよ〜」
会場は爆笑の渦に・・・・・・。
話はいろいろとなんだか倫理学・人間関係学に通じる話が多かった。会場のそとにはおこさまでもわかる数学の本が見本でおかれていた。これなら阿呆な私でも数学がわかるかもしれないとおもったが、非売品であった。
おどろいたのはリチャード・オッペンハイマーの裏話を聞くことができたことである。私は実家にリチャード・オッペンハイマーの評伝American Prometheus: The Triumph and Tragedy of J. Robert Oppenheimer (Vintage)をもっているが、英語ができないのでよめなかったが、その人は裏事情をいろいろと語ってくれた。
「リチャード・オッペンハイマー原子爆弾マンハッタン計画にかたんしましたよね。その仲間で悪いやつがいたんです。そいつが、内部告発して社会で就職できないようにしたんですよ、ひどいとおもいませんみなさん。そのせいでリチャード・オッペンハイマーは教職につくこともできず、うつになったんです。その癒しのためにインド哲学を学んだんですよ」
そうかインド哲学は癒しの哲学なのか、今度実家にかえったら評伝をひもといてみよう。

 経済観念についてはまったくついていない。しかし食費をけずることで経済観念をつくることにした。なるべく外食はしないで、パンを食うことにしたのである。ビタミンは野菜ジュース。体力の限界を感じたら、ファミレスで飯を食うことにしている。これがうまい。時々ファミレスで食う飯はうまいものだ。実家の母の手料理には負けるが・・・・・・。本は古本屋で全神経を集中し今・ここではたして必要な本であるか否か吟味に吟味をかさねて買うことにしている。図書館で本を借りると、朗読しているのでなかなか期限内に智慧を吸収することができない、そのために買ってしまうのである。下宿の蔵書は増殖を続けている。ほんの積み方も体調が悪いと乱雑になりときには土砂崩れをおこす。それで私の眠りがさめることも一度や二度ではない。京都府立図書館で借りた本は下宿から距離があるので返すのがおっくうになる。そのために、「期限内に返却していない本があるので返してください」という葉書きが来てはじめて重い腰をあげる。
 そして、文化問題、これはかなり由々しき問題である。学生時代は絶対にアルバイトをしたくはない。なぜならば、お金をとりせしむる行為を学生がやっていけない。私なんかがお金をとってしまったら世間にもうしわけないという気持ちが非常に強いためである。そのためにケインズ経済学の主著である『雇用・利子および貨幣の一般理論』をひもといて経済観念をつけている。ケインズの評伝は経済観念をつくるというよりもむしろ世渡りに役に立ちそうである。さまざまな文化人との交流と悪口が書いてある。妹が獣医になるという現実が差し迫った今、マルクス経済もひもとかなくてはなるまい。
 私は基本的にマルクス・レーニン主義があまりすきではない。そのためにマルクス主義をやわらかくといたジャック・デリダの『マルクスの亡霊』をひもといて貨幣と商品について考え、学生時代は哲学にまい進することにする。