建具職人

 私の祖父は建具職人だった。浄土にいる祖父もいまごろ建具をつくっているのであろう。私は継ぐことはできなかった。生来の怠け者のためであろう。そして、哲学の道に入るはめになった。人間の魂の探求と救済のために、こう書くといかにもうさんくさいがそのうさんくささが今のところの私の哲学になっているらしい。
 我が家はドストエフスキー的な東北人のような遺伝子がインプットされているらしく、物事のめり込んだら最後、周りの人間がドンビキするほど熱中する。凝り性の境界をはるかに越えている。ぶっ倒れるまで物事に集中する。そのために休日は<睡魔の虜>になってしまう。じーさんもばーさんもともに「我が家の人間は昼寝をしなければ生きることはできない」と身体でおしえられた。その教えに逆らうと天罰がくだるらしく、日曜日に調子こいて京都の四条に映画を見に行ったり、DVDやCD、哲学書をあさりにいくと翌日かならず身体が動かなくなる。自己の身体ほど正直なもんはない。
「健康こそ一番大切である」『二コマコス倫理学
この教えがなかったら、現在の私は今・ここで生きてはいないであろう。

 私は怠け者なので書く仕事に従事することにした。もんだいは締め切りを守れるか否かこれである。一回生のとき哲学演習のレポートを一回目の『クリトン』プラトン著の「何故ソクラテスは脱獄しなかったのか」というテーマのレポートを死ぬ気でネットカフェででっち上げて規定された量をはるかに超えた分量で周りの人間の度肝をぬいた。
そして、二回目の『統治論』ジョン・ロック著では
「たぶんせんせいは政治のことをかいてほしいからそのうらをかいて教育について書こう」
という私の悪巧みのために締め切りに遅れてしまった。
「だめだぞ〜しめきりまもらね〜と」
といいつつレポートを受理してくれたことは本当に親鸞聖人に感謝している。一般社会において締め切りをまもらないことは
「あってはならないこと」
である。このことは私が下宿で観た『ビギナー』という司法修習生のドラマで学んだ。そのことを先生に報告したら、法曹界にいくことまで暗示してくるのであるが、私は法曹界に入る気持ちは無い。
六法全書』をひらくことはもうないであろう。

 じゃあてめーは何になるんだ、という問いがここで想起される。哲学の研究者になろうとかんがえていたが、駄目な雰囲気がただよっている。精神分析の技法を実際に現代の精神医学に導入することも駄目らしい。先日、受診した精神科のお医者さんに夢解釈のお話をとうとうと語って精神界に導入できませんかねぇと言ったら
「そのお話は夢物語ですよ」
と言われてしまった。
 ここでハイデガー智慧を借りよう、時間は過去・現在・未来と川の流れのようにながれていく、そこで現在の<自己のありかた>をみつめるとき過去の<自己のありかた>をみつめることが大切なのではないかとハイデガーは『存在と時間』という本のなかでそこはかとなく示唆している。
 善し、私も過去を回顧してみようモノローグにならない程度に、すると小説家になりたいという目的(テロス)が想起してきた。そもそも京都の物語を書いたことが京都の大学の哲学科にいくはめになったのだ。40歳の男性が体操競技で花を咲かせるというまさに夢物語を大学受験のときに書いて江國香織さんが審査する『新潮エンターテイメント大賞』に応募しようとしたが、体操競技の専門家であるリリパット体操競技の技術の記述の誤りとモデルが判明してしまうという理由で却下された。
 そのために私はその原稿をすべてゴミ箱に捨てた。400字ずめ原稿用紙約400枚の紙切れだった。その後遺症が現在の私を作家に成るというテーゼにむかわせている原動力となっている、らしい。
 言葉の錬金術師に成りたいのであるが、まだまだ修行の身である。
a)『臨床哲学の手記』(趣味)
b)『まわる神話』(坂口安吾賞応募予定)
c)『京都学派シンフォニィ』(ノーベル文学賞ねらう、つもり)
d)『アリストテレスの日記』(ブログできれば私が浄土に逝くまで続けたい)
 ノーベル文学賞はかなり難しいらしい。日本人は川端康成さんと大江健三郎さんしか獲っていないのである。cにかんしては日ごろの怠け者のお詫びとして大谷大学総合研究室にぶら下げたいという気持ちが非常に強い。
しかし、難しいであろう。村上春樹さんでさえフランツ・カフカ賞を受賞したが、ノーベル賞はとれなかった。そして三島由紀夫さんも遠藤周作さんも<ノーベル賞候補作>になったがとれなかった。わたしはふたりの著作を読んだがどうしてとれないのかがいまだにわからない。