リリパットと哲学会話

 私はできることならば、リリパットと7月28日〜7月30日にかけて今後の「生き方」について対話をしたい。なにしろ私は書物のなかに顔をつっこんでなかなか実践倫理の行為にうつさない、腰の重たい人間である。リリパットはリアリズムに裏打ちされた的確な指導をうえつけてくれる。しかし、二十歳もすぎたきょうこのごろ、いつまでもリリパットの思想にかぶれていては哲学の道を歩むことは難しい。「今・ここを生きている」という命題は成立しなくなる。
 それではかなりこころもとない。私の魂で考えなければ、それは哲学ではなく「禿げ学」である。つまり、弁証法という名の屁理屈をこねる<わざ>で相手をけむりにどろん、とまくだけで何の社会貢献にもならないのである。
 無理筋のシナリオになるであろうが、リリパットさん7月30日にいっしょに「クレイジー、フォー、ユー」を観照しましょう。たぶん、リリパットさんは運動力学および運動生理学に精通しているので、私の哲学に貢献すると思われます。特に秋までに「運動現象と純粋経験」という論文を完成させたいので、忙しいとおもわれますが、協力してくれるとありがたいです。
 そのあと、一緒に車で実家まで送ってください。私の部屋は黴と蔵書が山盛りなので、魂をお掃除したいのです。京都の夏は湿度および気温が高く一日三食のご飯も食えないという人間の生活から少し軌道のそれた弾道をとおっています。このままいくと猿になるかもしれません。