私は如何にしてノベール文学賞をねらうことになったか。

 私が大谷大学に入学した時、国際文化学科の先輩である津村記久子さんが『ポトスライムの舟』で芥川賞を受賞した。
「なんでピースボートのポスターとXのポスターが一緒にはってあんやろ」
という問いが原点となり物語はどんぶらこと日常を淡々と亀のようにはってすすんでいく。
 私はあるとき津村さんのインタビューをTVで観たことがある。お母さんが
「夜中にもそもそおきてきて健康状態が心配ですわ」
的なことをいっていたので、そうだな作家も健康が大切だなと私はその瞬間に思った。津村記久子さんは<分眠>という<わざ>をつかって原稿を書いている。夜寝てむっくり起きてまた眠る。マルクスが資本を分配するように睡眠時間も分配しているのである。
さすが、芥川賞作家はやることが一流である。
 しかも、津村記久子さんは仕事をしながら書いている。私とは大きな差であろう。私はなにも仕事をしていない。お金をかせいでいるどころか親の財産をカンナでけずっている。なかなかいたたまれない心持である。
 そのためにケインズの経済学をまなんだり、ケインズの生き様を紐解いているがいまだに母に
「2万おろしてホントにおまえは経済観念がないね」
と携帯電話ごしに諭される。ケインズの研究者のお話をきいても自覚することは無かったらしい。

 あるとき、私は津村さんの就職活動の過酷さを物語る記事に出くわした。
何社もまわっても内定をとることができず、やっとはいったとおもったらタイヘンだったと、これで私は善し、作家になってやろう、と決心したのである。ノーベル文学賞とってみる心持で生きてみたら世界がばら色になるかもしれないという阿呆なイデアが想起したのである。
 
 さまざまな親戚の死を目の当たりにしてなんとか責任を分配できないものか、と考えたとき怠け者の私には書くことしか想起できなかった。資格をとる気持ちもないし、就職活動もする気も無い。国家一種試験に合格してキャリア警察官になってゆくゆくは厚生労働大臣の右腕になろうかなぁとおもったこともあったが『踊る大捜査線』の室井慎次さんのようになったら責任がとれないなぁと思ったのでこれもやめた。

 だから私は作家としての道-Weg-を歩むことにした。