単位の問題

 後期の単位は着実に取っていきたいたいが、語学に対する「怖い」がなかなか払拭されないことが問題となっている。講義に出ることができなければ単位をとることができない。単位をとることができなければ、進級することができない。
 そして、進級することができなければ、研究者としてご飯をたべていくことは永遠にできないのである。そして、お葬式をむかえてしまう。テストを無視してしまった以上、後期はレポートを書いて単位を取るしかなさそうである。その自らが課したレポートが「運動現象と純粋経験」というもの、主として、リリパットとの相談とsawaokto先生とakitomokaneko先生との対話で成り立つと思われるが、ここのところは夏休みにリリパットと相談しなくてはならない。それにしても、某学科のお葬式の記事には驚きを隠せない。なぜならば、某学科の記事の映画を実際に観た経験があるためである。
 最近、リリパットと電話相談をしたところ、
「sawaokato先生の<動き方>の何が凄いのかお前はわかるのか。」
と問い詰められてしまった。
 
 私にはまだわからない。実家に戻ってリリパットと相談してそのすごさについてソクラテスのごとく問答してみることにする。その内容は<プラトン>と規定したボイスレコーダーに吹き込むことにする。経験者とバレエの経験者とのコラボレーションは聞き応えのあるものになると思われる。

 そしてsawaokato先生とakitomokaneko先生との対話も<プラトン>に吹き込んでゼミナールで発表することにする。

そのためにはプラトンとカント哲学の精読が必要条件となると思われる。

プラトン:『国家』

カント:『純粋理性批判』及びカント『純粋理性批判』注解