単位の問題

 私は大谷大学に在籍しているが、単位がかなりヤバイ。語学の授業はすべて欠席しているし、哲学演習の授業もまったく出席していない。母の検察官なみの尋問には
「でてる、今日2限目ドイツ語があってでたよ(うそ八百屋長)」
「そう、出てるならよかった」
こんな無理筋なシナリオの会話を何度も繰り返し現在にいたっている。大谷大学の総合研究室にひきこもり、文章をかいている銀河系一の怠け者である。ある意味自閉症アスペルガー障害と精神科医に診断されてもおかしくはない、大学にある精神科学および精神分析学の書籍をすべてひっくりかいしたら、そう診断されても法律で処罰されることはないことが判明した。

 テストに出席するつもりもないのでヤバイ。卒論の『アリストテレス視座から見た魂の運動表現』と小説を書くことに大学生活のすべてがかかっていることになる。そのことに付随して四ツ谷の小部屋と現象学の解明がカント哲学でいう他律にあたる。私の理性はずいぶんと変わった大学生活を要求しているらしい。西田幾多郎が残した『思索と体験』の下宿での朗読は三日坊主になると考えていたが、意外と継続している。

 バイオリンの先生やバレエの先生にも大学生活について尋ねられるがかなりこまる。
「充実しています」
と答えることにしている。
大学の要求している義務すなわち「他人にかんする義務」を遂行していないので罰則の対象すなわち原級留置および留年の可能性が高くなってきた。
恩師における
「同じ失敗を二度くりかえすな」
「考えるときは最悪の事態を想定すべし」
などの助言は実践倫理として何ひとつ生きてはいないが
アリストテレス視座における魂の観照はできている。
そのために大量のカント全集とフッサール現象学の書籍と食うのも眠るのも共にしているという運命になった。