着替える「場所」があたえられる。

 昨日、私は着替える「場所」を与えられた。楽屋の蛇腹のカーテンでもそもそ着替えていたが、今度は立派な着替える「場所」があたえられたのである。しかもそこにはずらりとVTRがそろってあった。これはかくれてみてもいいよ的な暗示なのであろうか。しかし、下宿にはVTR再生用のデッキがない。これは問題であろう。
 まあ、着替える「場所」は「雰囲気」がよかった。畳で落語家の楽屋のようである。

 倫理という場所を考察するときもそもそと着替える場所は西田幾多郎の考えている「場所」にかぎりなく近い。