沼津を歩く

 私はノーベル文学賞を目指しているが、なにもしない。ただ実家の沼津をてくてくと古本屋をあるいたり、大型量販店をあるくだけである。これではフランツ・カフカ賞もとることはできないだろう。しぶとく本屋をめぐって本をながめる。重要なことは「本を読む」ことではなくむしろ「本を眺めること」にある。<作家と学者は本を読んでいるふり>がすごく上手なので作家や学者同士がなにかの会合で話し合いになると「どの本を本当によんで、どの本を本当によんでないか」の腹の探り合いが密かにおこなわれる。私はこの行為はバカバカしいとおもっている。むしろ、クラゲを観察してその美しさにみとれて奥さんに「クラゲと私どちらがたいせつなの」「それはもちろんクラゲ」「そう、あなたらしいわね」という牧歌的な学者の家庭をみているほうが学問の振興に役に立つと考察している。
 賞は小学生のときにいくつかとったことがあるが、いまだに納得することができない。全国レヴェルの賞なのだが先生が「一寸君きてくれるかな」と得体の知れない教室に案内されてそこには私の作品があった。そして「ここをもっとダイナミックにかいてみよう」と言われ、なすがままに絵をかいた。それで金賞をもらって校長先生に賞状に書いてある名前を読みあげられても、いまいちぴんとこない。むしろ、中学時代に学校を背負った大会でアンカーを勤め、入賞できなかったことを「てめーのせいで入賞できなかったんだよ」と野球をやっていた友人に怒鳴られたときのほうが痛くまたこころに刻みこまれている。学校という機関を背負うと私の名前の上に学校という責任がイエス・キリストの十字架のように背負わされる。
 組織になじむことが嫌いな理由もここにある。私は決してリーダーには向かない。むしろリーダーの黒子として生きることに生き甲斐を感じてきた。なぜならば、リーダーは周りをよく見る人間であらねばならないためである。私はひとつのことしかみえないしかつ対象がふらふらしやすい。舵取りがふらふらすると船は沈没してしまうのである。そう、ノアの箱船のように・・・・・・。