夜 『教育哲学ノート』より

 筆者は夜が好きではない。責任を背負っている心持ちがして<気>になって仕方がないのである。夜は意識がより深い無意識の部分があらわれてくる。心休まれば善いのだが、なかなか心休まる「時間」が無い。時代性なのか、筆者自身の問題なのか判りかねるが、心のなかで<くすぶっていること>を昇華してダイヤモンドにする錬金術の営みは続けていきたい。本に書き込まれる無数の書込みは<何か>を物語っている。その<何か>は個人的な無意識かもしれないし、あるいは他者の魂にも響きわたる集合的な無意識なのかもしれない。
 作家の五木寛之さんも夜にものを書くことが多いそうである。ドストエフスキーもまた主として夜に作品を書いたらしい。筆者はできるだけ朝型の生活にしていきたい、と考えている。なぜならば、1日は24時間であり「早起きは三文の徳」と日本の諺にうたわれているためである。