私は歩くヘーゲル
ヘーゲルは新聞を大切に読んでいた。そしてコーヒーをこよなく愛した。ヘーゲルは早口で声がききとりにくく冗談もさむいじょうだんしか言えなかった。『精神の現象学』はナポレオン・ボナパルトが戦争をしていたときにヘーゲルが借金で金欠の状態で書かれた書物なので一気呵成にかかれている。後半の人倫の巻では調子が「がらり」とかわって国家規模を考察しているので、「畳がひろすぎる」とつぶやかずにはいられなかった。ヤコービ、フィヒテ、シェリングそして伝記をかいたローゼングランツ。
ヘーゲルのまわりには隠れキリシタンのように哲学なかまがいた。私は同年代で哲学を語ることができない。口ベタなことと授業にまともに出席していないためである。このことはカント倫理学上ゆるされる行為ではない
カントは人倫の原理として以下きまりごとをさだめた
1)「汝の行為の格率が汝の意志によってあたかも普遍的自然法則となるかのように行為せよ」
2)「汝の人格およびおのおの他の人格における人間性をつねに同時に目的として取り扱い、決して手段としてのみ取り扱わぬように行為せよ」
3)「意志がその格率を通して己れ地震を普遍立法的と見なしうるように行為せよ」
ヘーゲルはカントの影響をうけているので1〜3までの人倫の原理を知っているはずである。しかし、私は義務を遂行していないので口ごもるしかない。