生命(leben)を哲学する

 私はうつ病きぶんの波が激しい。学校の校医の先生は「他者の論理にはたらきかけているから心配いらないよ」と助言をしてくださった。また「なんかあったら教えてね」とも実家には生命学者のヴァイツゼッガーの『ゲシュタルトクライス 知覚と運動の現象学』と精神科医でありながら哲学の考え方を治療に導入したL.ビィンスヴァンガーの『うつ病と躁病』本があるのでまとめて文章にしていきたいと思念している。
 2つの書物をパラパラめくったら、現象学についてはフッサールの影響とハイデガーの影響がもろにうけている印象をうけた。
 ユングの『心理学と錬金術』の読み込みはすすんでいるが、ユング自身が書いた『ユング自伝』を前提にしてよまなければわからないところもあり艱難辛苦している。『ユング自伝』はもうすぐ生涯のライバルであり指導教官でもあるフロイトが登場するところまでよみすすめることができた。
田邊元の『種の論理』は社会科学の論理が展開されており生命を考察するうえでは田邊哲学よりもむしろ西谷啓治の哲学のほうがよりダイレクトに思索を転回することができると思ったが、「京都学派」というネットワークで<あまねく>考察することによって日本独自の「生命の哲学」を考察することができるとおもう。
田邊元にひかれた理由は「風貌」である眼鏡をかけておらず、くさむらで思索している写真がびびっと惹かれてしまったのである。和辻哲郎もあの威風堂々とした和服すがたとハイデガーとの交流で地道に足で思索した哲学者ということがなんともいえないのである。