人と人とのあいだのなかで 『教育哲学ノート』より

 人と人とのあいだで会話の歯車がかみ合わないとき、自己がわるいのか、あるいは他者が悪いのか筆者は頭をかかえずにはいられない。自己には自己の経験の積み重ねがあり、他者には他者の経験の積み重ねがある。両者を取り替えることは残念ながらできない。自己の世界のには<自己の論理>がまかりとおっており、他者の世界には<他者の論理>がまかり通っている。互いに会話をするとき、自己が沈黙をしていると他者は「何を考えているのか判らない」状態となる。自己が他者に<おそれ>をあたえる瞬間になりえる可能性が高い。
 しかし、自己と他者とのあいだが親密であればその必要性や<気>配りについてとやく考えなくても善いのだが、顔を合わせたことが数少ない「あの人だれだっけな?」の状態の他者である場合、困ったことに自己は他者に<装い>としての<眼差し>をむける時がある。この問題は人間関係があまり上手ではない人間がもつ意識なのかもしれない。
 もっと、共通の話題や他者のもっている<雰囲気>が自己のこころのなかに響くものが少しでもあると自己と他者のあいだに親密な関係が築かれるのかもしれない。