ニーチェをよむ

 古典の『ツラトゥストラかく語りき』を読んでいないと西谷啓治の『根源的主体性の哲学』を読むことはできない。また夏目漱石もまたなんども繰り返さないと身に染みてこない文学である。しかし『ツラトゥストラかく語りき』は稲妻のように読者の魂をわしづかみにして、なんにちもその咆哮に影響されるドストエフスキーの『悪霊』とおなじぐらい精神的な打撃をあたえる書物である。
救命病棟24時』の新藤一生先生はニーチェかあるいはイエス・キリストかどちらかわからない。患者のためならどんな手段もえらばず、ヒューマニズムを貫く姿勢は周囲を困惑させる。そして圧倒的な手術の技法で周りの医療従事者の魂を引き上げる。
 ついには、探偵まがいの犯人調査までやってしまう。「このような医者いるわけがないだろう」とおもいながらみていたが、高校時代、市立の病院から脳神経外科の先生が、医師になりたいひとがきくお話会でお話をしてくれた。
「みなさんはドラマで『白い巨塔』と『救命病棟24時』というドラマをしっていますか?実際の現場のあのままです。なんの脚色もしていないとおもってもらって結構です。ちなみに私は進藤先生みたいな先生ではありません」
私は驚愕した。
「私は勉強がきらいで水泳ばかりしていましたね、勉強がきらいでした。医者にひつようなのは体力です。
患者には3つのパターンがあります
第一に治療行為をしても絶対に助からない患者
第二に治療行為をしなくても助かる患者
第三に助かるかどうかわからないけど治療すれば助かる患者
このなかで一番は三番目の患者です。」
ここからさきは私の記憶がさだかではないので書くことが出来ない。