音読生活
私は対人関係が苦手で人前でまとまった噺をすることが極めて苦手である。そのために文章を書くことで意志を示してきたが、バイオリンを弾くことや音楽を聴くようになってからは<本の読みかた>が変わってきた。浄土真宗はお経をとなえる『大無量寿経』というありがたいお経である。これは大谷大学の聖典である『真宗聖典』にのっている。
時折、不安にさいなまれると唱えるときがあるが、個人的には親鸞聖人の『教行信証』のほうが、人間くささを感じるので『大無量寿経』よりもむしろ『教行信証』のほうが好きである。
昨今の仏教界は布教が進化しているらしい、オーケストラのお経やお坊さんがバンドを組んでロックンロールを奏でている。声明も独特のリズムがあり、お坊さんの腕の見せ所らしくあちらこちらでライヴがおこなわれている。
私はロックにはかなりうとくベンチャーズとビートルズとローリングストーンズしか知らない。予備校時代にこっそりとローリングストーンズのライヴをマーティン・スコセッシ監督が映画化した『シャイン・ア・ライト』を観てこの爺さんたちはなんて元気なんだ!と度肝をぬかれたことがある。しかし、疑問なのははたしてベンチャーズとビートルズはロックのカテゴリーに分類されるか、これである。
ベンチャーズとビートルズの職人気質の音楽はクラシック音楽と同等といえる。予備校時代に古いCDショップでビートルズのCDを買ったとき、ドイツ語バージョンの歌がアルバムのなかにもりこまれていたのには驚いたものだった。ドイツでライヴをしたときのものであったのであろう。貴重なCDであったが、母に売られてしまったので今はもう実家にも下宿にも存在しない。
現在、下宿ではドイツ語とバイオリンの訓練にいそしんでいる。関口存男さんのCDつきドイツ語教本をネイティヴ・スピーカーの音速なみのスピードに四苦八苦しながらシャドウイングして、重箱の隅をつつくような文法規則と発音の規則をたたきこんでいる。関口存男さんのドイツ語教本は「遊び心」がありすぎてときおり笑える。
この「エ」は眠っている男のひとを突然たたいたときに発せられる音です。
女の人が起こすとまた違った「エ」になりますね。
さて本題にもどりましょう・・・・・・
まるで古典落語である。
『新独英比較文法』はかなりアクロバティックな構成でかつ教養をふかめることができる。アンダーラインをひきながら独学しているが、音読したほうが学習効果がたかい<気>がする。ルターがドイツ語に聖書を翻訳し“DIE BIBLE”の一説や哲学者の警句、英語とドイツ語の相関関係、ゲルマン語とはなにかなど知的好奇心を刺激される。
文学作品も音読することに意味があるそのむかし『論語』は素読されていた。現在でも四ツ谷の湯島聖堂では『論語』の素読がおこなわれている。そして、剣道の素養としても『論語』の素読をおこなっていると剣道の雑誌でみたことがある。
私は夏のくそ暑い日に実家で座布団に正座で『論語』岩波文庫を素読したことがある。最後までよみおえたときは爽快な気分であった。
現在、下宿では日本文学では夏目漱石の『虞美人草』、『行人』と泉鏡花集の何冊か、あと『正法眼蔵』道元著がある。「声と音楽の存在がこころと身体いかに影響を及ぼすか」について考察するとき「実践しなければわからないだろう」と考え音読している。
海外のものではウィリアム・ジェームズの親戚の作家であるヘンリー・ジェイムズの『使者たち』とヴァージニア・ウルフの評伝を音読している。
こころの問題と「声と音楽の存在」について考察するときこのふたつのもんだいが今後どのようにまとまっていくのかまったくわからないが、恩師とカウンセラーと助教授と対話をとおして考察していきたい。
現段階では、現象学とカントの理性にもとずく心理学の考え方にそっていくことで倫理学の問題にも踏み込むことができるとかんがえている。