自然(じねん)トレーニング

 私の筋力トレーニングは自然にはむかわないことに一環している。学術書を信号待ちで上げ下げするだけで鉄アレイを買わなくても筋肉トレーニングができる。3時間ウォーキングするだけで足腰の神経と筋肉を鍛えることができる。下宿には青竹ふみがありその場で足踏みをしてツボを刺激して内臓系の健康管理につとめている。最近では首倒立を取り入れることにした。まさに東洋のヨーガの思想である。壁倒立をしたいのはやまやまなのだが壁倒立する「場所」がないのでバランスがとりやすく、転倒のおそれがない首倒立で菩提樹をイメージしてモルフォルギーの概念を身体に叩き込んでいる。解剖の本で『アナトミー・トレイン』という本があるが、あれはいったいどういう趣旨でかかれたものであるのか私にはわかりかねる。
 夜中になると30分座禅三昧の世界に入る。蔵書と洗濯物が異様な雰囲気を放っているので結跏趺坐で集中することは困難を極める。最近気がついたというよりも、<悟った>ことは禅定に入ると忘れ物をしなくなるということである。しかし、禅定に入ったからといって「安心立命の境地」に入るとはかぎらない。下宿にはテレビが存在しないので、時事情報は本屋のアン・アンやバレエ雑誌で「風を読む」ことにしているので同年代との接点がみつけにくいと案じている。雑誌の名前は乙女がなじみやすい語彙で形成されている。ノン・ノンやフラウ(ドイツ語で淑女)ヴォーグ(フランス語で流行)フィガロモーツァルトのオペラ『フィガロの結婚』から由来)、紳士ならばゲーテ(文豪の名)、コヨーテ(動物の名)、スウィッチ(英語で押すまたは切り替わる)・・・・・・など雑誌の立ち読みで「風を読む」ことにしている。
 紳士が乙女または乙女が紳士の雑誌を読むことは実践心理学で役に立つ場合がおおい。肌感覚で普遍的な無意識を感じることができるのである。古本屋ではあまり役にたたない。専門家が来るので「がっちがち」の学術書目当ての古本ハンターが眼をぎらつかせながら古本屋をおとずれる。古本屋は猫の額の土地で運営されているために巨大なリックでいくと目当てのコーナーに人がいた場合に非常に困る。「どいてください」といえば厚かましさが露呈するので、その人が満足するまでほかのコーナーで手持ちぶたさに目的以外の本をぺらぺらとめくって時間をつぶさなくてはならない。精神的なストレスは相当のものである。
 本を選ぶときにも相当なエナジーをつかう。AとBでは同じ内容がかかれているがコスト面でAが善いが智慧の光明ではBがAよりもまさっている。しかし基礎をかためるには漫画風のCを買うべきか否か右往左往<気>がつくと本屋の外は真っ暗である。結局何も買わないで立ち読みするか、Bの本を買ってしまって母に怒鳴り散らされる。特に哲学思想系は本の選び方もわざの習得のひとつである。理系ならば数学の技能でピンポイントな本の選びかたができるが、哲学思想系は射程がひろいためピンポイントでねらうことが困難である。いつでも・誰でも・どこにでもという普遍的な伝承をかんがえてときその射程範囲は膨大となる。
 下宿に戻ってきたときはもう疲労困憊でくたくたである。このくたくたさはドイツ語でなかなか訳語がみつからないでひっきりなしに辞書をめくっているくたくたさに限りなく近い。語学の先生には「電子辞書はプロがつかうべきである」と指示がだされたので電子辞書をつかうことができない。英語は洋書をひっきりなしによめばいづれ<悟り>をひらいたように英語をはなすことができるという神話を鵜呑みしないほうが身のためである。
英語はもうだめだとあきらめの境地に達している。
 語学コンプレックスは英語の時間に高校時代気持ちが悪くなって保健室に言ったことに原因があるのでは?と深層心理を学ぶうちに霞がはれていくように明快になった。
「当てられたら、正確に和訳しなければならない」「熟語のテストで半分は取れないと」「日本語を正確に英語にだまくらかさなくては」という強迫観念から語学が嫌いとなってしまったが、だんだんと階段はのぼれているようである。
 きずいたことは、ある特定の語学(X)に接している時間(Y)とは数曲線であらわすことができるということをマクロ経済学の本を立ち読みしてしることができた。
『ドイツ語四週間』と『新独英文比較法』と『菩提樹』の映画をみるなどドイツ語にせっすればせっするほどドイツ語が詳しくなってくる。ドイツ語が英語と親戚であることはゲルマン諸語の関係上しることができた。発音の問題が口角まわりの筋肉はアングロサクソンの民族と東洋人の民族ではちがうために完璧にネイティブ・スピーカーの発音になることは不可能である。問題はロシア人である。ロシア人は中国とモンゴルのユーラシア大陸に内包されており言語体系がきわめて特殊である。
むかしのうたに
♪ハラショー・ハラショー・ガガーリン
(すばらしい、すばらしいよガガーリン大佐は)
 月面にはじめて立ったガガーリン大佐を歌ったものであるがハラショー(すばらしい)はロシア語であるが、当時の日本人の心を鷲づかみにしたそうである。オリエンタリズムのつながりをしのばせるエピソードであろう。