現象学とはなんだろう? 『教育哲学ノート』より

① <意識の流れ>は心理学の世界や精神医学の世界とは決して無縁ではない。ヘーゲルは『精神の現象学』を著しているが、この著作は理性や人と人とのつながりにおける倫理学の世界においても大きな光明をもたらしている。理性についての考えはカントの『純粋理性批判』のなかでヘーゲルよりも微細に考察されており、また人間の心のことについてもふれている。人間の心の現象すなわち<意識のながれ>はフッサールが『イデーン』という著作なかで数学考察を源泉にした「厳密さ」でとりあげられている。ヘーゲルにおける『精神の現象学』とフッサールにおける一連の著作に貫かれている「現象学」の方法についての関係性は考察の余地があると思われる。精神医学の世界では「現象学」の方法をとりいれてより患者の<意識の流れ>における考察を進めているように思われるが、日本における精神医学における臨床の「場所」においてはひろまっていないことが現状である。ドイツでは哲学的考察の言語のしくみによってその方法が極めて広くひろまっているらしく、人間の「眼差し」に根をはった臨床の「場所」が展開されている。<意識の流れ>を紙に書き記すことはきわめて意味のあることであり、そのことがフッサールにおける「現象学」の方法で重要になっている。

②以下の考察はまだ書きかけなのでブログで公開することはできない。カフカ的な小説すなわちショート・ショートは原稿用紙の裏の白紙の部分に縦書きで万年筆の蒼で書き記しており、一枚、一枚封筒にしまって下宿の引き出しに大切に保管している。『ハイデガーノート』に関しては膨大な蔵書のかきこみで想起されたパラフレーズ菩提樹風に書き留めている。哲学書の読解に関しては音楽を聞きながらバレエの映像資料をみながら、飯を食いながらの「ながらよみ」なので精密な読解は<決して期待できない>であろう。『臨床哲学の手記』に関してはバレエ関係者のこと(我と汝の師弟関係)が詳細にるんるん気分で着の身着のまま書き留められているので倫理学の範囲におさめられるか不安である。下書きのノートはすべて紛失してしまい記録のすべてはノートパソコンに保存されている。ブログの記録もきのみきのまま「どこ吹くそよ風」的な書き方で<指標>的な役割をになわせているので<自己の手前味噌>になっているのが現状である。