東京という風土

 東京は同級生がうじゃうじゃいると、親友がもらしていたことがある。とくに三鷹一帯に。京都よりも風土の差はどうかとかんがえてみると、私個人の考えでは、「個人主義」の傾向が京都人よりもむしろ東京人のほうがかなり根強いらしい。
 「あんたはあんた、わたしはわたし」の主張であろうか。京都人は身内にはやさしいが、観光都市でなりたっているためある部分を本音をだまくらかしている部分がないとは断言できない。
「ぶぶづけいただけはりますか」は
「とっとと帰れ」という暗示をしめしているらしい。
「一見さんお断り」もあるがこの傾向は年々うすれているらしい。私自身が土足でづかづかと楽屋に入っても空気のようにまるでそこにいないかのようになじんでしまうためこの概念は私にとって意味をなさないようである。

 東北人はウルトラマイペースで根性がずば抜けてあるリリパットいわく
「雑草をねっこから摘んでもまた生えてくる」
言い換えるならば昔の体操会
「怪我をしてもただでもどってくるな」という格言に近いのかもしれない。
かの有名な森末慎二選手は怪我で入院したときにとなりに先輩がいたので腕立て伏せの競争となり怪我をした前よりも腕の筋力が上がったそうである。
これはリリパットからの又聞きなので真理か否かはわからない。
ただ、当時としては根性の概念がかなり現在の根性のレベルからそれていることは真理の妥当性が強いと思われる。
 アイルトンセナもアキレス腱を切ったのに試技をしようとしたし、怪我をしても病院で倒立歩きをして腕力を鍛錬した。昔私はNHKのドキュメンタリー番組でアイルトンセナが腰椎を断裂したときに淡々とゴムチューブで筋肉の鍛錬をしているシーンをみて感動した経験がある。西田幾多郎の思想と会い通じるものがあるのではなかろうか。