ノック

 私は大学の研究室に入っていろいろとよもやま話をすることがすきである。なぜならば、アカデミックなこと、人生の智慧、大学の諸問題が教官の長年の「だまくらかし」によってお見事に<語られる>ためである。昨年は哲学科のみにダイレクトにコンコンとノックをしていったが、これからは他学科の教官の研究室にもコンコンとノックをしていきたい。まさに学際的な臨床哲学者の行動であろう。ただ問題なのは、開口一番になにを話してよいのかわからない、これである。
「今日は善いお天気ですね〜」とか、「暑いですね〜」
とか世間話からはじめていけばいいのだが、そうではなく<苦し紛れの沈黙>から時が流れる。
 恩師には「世間話はするな」と指示がでているのでなんとか、話題をみつけだすのに四苦八苦する。ただ、「固有名詞をなるべくださないように」とのことは死守したい。なぜならば、固有名詞があらわれた瞬間にその固有名詞以降のお話は自己の考えから沸き起こる<語り>ではなく<固有名詞の存在者>の<語り>になってしまうためである。
 おとぎばなしをそらんじるとか、教官の研究分野についてもちまえの洞察力で本棚をみわたして話題をこしらえるとか、話題のこしらえかたはさまざまであるが、教官の研究分野についてのよもやまばなしは「地雷を踏んでサヨウナラ」の状態になってしまうのでさけなくてはならない。おとぎばなしをそらんじる場合、記憶が不確かなのでこまる。「出来損ないの五目そば」のようなおとぎばなしでは
「この生徒はなにを話したいのか?」
とおもわれることは間違いない。
 「沈黙は宝」と実感せずにはいられない。臨床の現場ではラポール(自己開示)といってカウンセラーが自己の内面を<語る>ことによって他者すなわち<来談者>の魂の様子を観照するらしいが、「沈黙は宝」がモットーなカウンセラーはどうなのであろうか、私は阿呆なのでわかりかねる。