カフカ的小説 「マヌ氏と天使」

 マヌ氏は高校で体操競技をみまもりながら、大学でサバットををやっていた。サバットとはボクシングとキック・ボクシングをシンクロさせたもので、ヨーガの思想と通じるものがあった。マヌ氏は帝国大学の近くのバーでバーテンダーをしながらレモン・スカッシュのおいしいつくりかたを研究していた。「レモンは人生の果実である」マヌ氏はおてがるな哲学を説くことが好きだった。マヌ氏はうつ病で夜の思索の「場所」をバーでおこなっていた。マヌ氏の哲学は哲学者や固有名詞がまったく出てこないので多くの人々に知れ渡り、それなりの結果をだすことができた。まるでスポーツドリンクにジン・トニックをカクテルしたようであった。
 ある日、マヌ氏がバーボンのまるい氷をこしらえている時、アルフォス氏があらわれた。アルフォス氏は「お前はあと3ヶ月の命だ、やりたいことをやれ」といった。そして、「私は天使で、お前にそのことをつたえに来た。どうするかはお前が決めることだ」アルフォス氏は黒いスーツに、しましまのネクタイをしめていた。そしてハゲだった。アルフォス氏はレモン・スカッシュをマヌ氏にたのみ、まるい氷をいれることをたのんだ。レモン・スカッシュを飲みながら、アルフォンス氏はとうとうと語りはじめた。
「私は時をつかさどっている。そのために腕時計をしていないし、めがねはつけるときもあれば、つけないときもある。わり算が好きで、こまったことがあるとわり算で考えている。お前もそうするといい」
 次の日、夕暮れ時、マーヤさんがあらわれた。マーヤさんはクラシック・バレエの絵を描くことが好きで解剖学を印象派の絵画のなかにとりいれていった。マーヤさんはマヌ氏に「バーボンの水割りをください」とたのんだ。マーヤさんはマヌ氏のバーの常連客である。マヌ氏はサバットおとぎばなしをしはじめた。
サバットはヨーガと通じているんです。らせんの自然のながれで動くので体操競技クラシック・バレエにもつうじるものがあるのでは、とぼくはかんがえています」
マーヤさんは
「そーね。龍樹の書いた『中論』をサンスクリットで写経して、マンダラをよくみてヨーガとか、サバット体操競技にとりいれたらどうかしら・・・・・・きっといいインスピレーションをうけるはずよ」
 アルフォンス氏の趣味はスカッシュだった。「わり算」で考えてボールの軌道を感覚的につかみとる。自己と他者の闘いは身体の知の世界・・・・・・知性もいるが、感性もシンクロさせないといけない。
 彼らは50年後、スイスのみずうみで出会った。想い出を語り合い、ときにトランプをしたり、チェスをしたりした。15年たつと彼らのこどもたちは、それぞれの道を歩み、教育者や哲学者となった。こどもたちはみなおとぎばなしを魂にひそませた。