リクルートスーツの恐怖

 私はリクルートスーツが怖くてたまらない。「いつかなるのか・・・・・・」と社会人の窓辺の象徴というべきリクルートスーツを見ると怖くてたまらない。いまだに、社会人としての義務の基本:「時間におくれずに義務を遂行すること」がまったくできないためである。義務には責任が付きまとう。責任がなければ義務は存在しない。入学式で新調したスーツは「邪魔だから実家におくっておくからね」と強制送還されてしまった。大人としての義務の象徴がなければ下宿は野放図と化す。蚊はぶんぶと舞踊り、ペットボトルのゴミ袋は玄関に放置された状態である。そして山盛りの洗濯物のなかからきれいそうな下着を吟味に吟味をかさねて選び、明日の私にであう時間旅行のシャワーにいく。仕切りをつけていないために下宿では湯船につかることができない。そして冷暖房をつけていないと冬は北極に到着した探検隊のこころもちでそっと扉をあける。  
 こまることは母が親切な気持ちで買ってくれた大きなプラスチック製の箪笥を解体してこしらえた本棚がくづれおちたときである。そのときの感情は筆舌につくしがたい。面倒くさいの境地である。力学の法則をりようして重心を推し量り本棚を本を陳列することによってこしらえなくてはならないので本が少しでも引力にまけてパタンとたおれると芋づる式にすべての本がくずれおちてしまう。もっと面倒なことは崩れ落ちた本がベランダに落ちてしまった場合である。この場合、本棚の隣に設置してある座卓をどかさないと決してその本を救うことはできない。その座卓にも本が平積みと立て積みで構成されているのでどけるのは困難のきわみである。そしてベランダの網戸ははずれたままの状態であるために隙間から蚊や小さな蛾がどこからともなく舞ってくる。何度もなんども網戸をなおしてもはづれるのでもうあきらめてしまった。
 リリパットは「環境が乙女を呼ぶ」といっていたので、紳士をつれて階段を上る乙女は相当な職人気質であろう。炊事、洗濯、風呂洗いをこまめに一歩一歩着実に実行していかなければ、人間と霊長類の差がどんどん縮まっていく。

①掃除

②洗濯

③整理整頓

 この三つの行為な三位一体となってはじめて倫理としての存在者となる。