身体と「場所」 『教育哲学ノート』より

 クラシック・バレエ体操競技が行われている「場所」に<みずから>存在することは演技者から<醸し出される>雰囲気をうけとるという意味でとても大切なことである。哲学書を読むときもその光景が想起され、哲学書のテクストからにじみ出るイデーから<私の考え>を一歩、一歩着実に深めていくことが可能である。この逆もありえることであろう。つまり、哲学書あるいは文学書から想起されたイデーをクラシック・バレエ体操競技の実践の「場所」において生かすことができる。倫理学は「人と人との間柄の学」と和辻哲郎が規定しているが、このことは運動表現における「場所」や教育における「場所」においてもいえることである。観客は舞台における「花」である演技者の演技に<意味づけ>をして観ることで、観客から観照者へと変容をとげる。観照者は「花」である演技者の演技を<芸術>ととらえたり、美的価値をつけくわえることになるのである。しかし、その美的価値を論理的ば文章であらわすことは極めて難しいことである。判断するときに<この雰囲気>はどう表現すべきか、という問題に直面するためである。運動<表現>および<表象>のちがいの<私の考え>における問題点のポイントである。教育の「場所」にまだ立ったこともない私は閉口することしかできない。