教育ってなんだろう 『教育哲学ノート』より

 不登校の学習者は<引きこもり>といわれているが、この規定は私の考えではあまり了解することができない。正しい<ひきこもり>のやり方によっては社会によりよく活動できるエネルギーをたくわえることが可能なためである。一般に<ひきこもり>の生徒の「場所」は学校において<居場所>をもつことができないために家で<自己の世界>にのめりこんでしまい、社会との接点をもつことが難しくなってしまう場合が多い。今日では精神医学や心理学の<科学的な>発展によって「机上の空論」の学問としてめまぐるしくドイツの世界から日本へ輸入されているが、その「机上の空論」を実践の<わざ>として教育の「場所」およびカウンセリングの「場所」で来談者や生徒に寄り添うために生かすことのできる人間は現在の日本では限られている。ドラマ『白い巨塔』ではそのことが示唆されている。Aは教授の椅子をねらうために命を削り、友人のBは貧しいながらも世間にあまり認知されていない医学の研究をこつこつと取り組んでいる。AはBを気づかい、そしてまたBはAを気づかうことでより善い臨床医学の「場所」をまさぐっている。私は研究の「場所」に立つべきか、小説の「場所」に立つべきか悩んでいる。