仏教世界の不可思議な世界をのぞく

 今日、私は仏教の勉強会に参加した。プレゼンのやりかたが手取り足取りわかったのでこれからの勉学に精進できそうである。午後からのプレゼンは見に覚えのあることが多々あったので、仏教の教えは「今・ここで命があなたを生きている」ことを激烈なまでに実感することができた。やはり勉強会に<いる>だけでも何がしかの理由があるらしい。師の教え
「君はいるだけで善い」
は百冊の教育哲学書よりも魂に響き渡る一言であろう。

 無駄な読書はないことも証明された。「こういうことがここであきらかになるのね」という魂のどよめきがわかるのである。「かいた汗は裏切らない」と同様に「読んだ本は裏切らない」のである。いつ・どこで・だれに・どのように閃光のきらめきをあたえるかわからない。

 下宿の蔵書はたまる一方である。あの本とこの本を関連付けて読もうとするので体系とならない。インスピレーションで蔵書を管理して文章をでっちあげるので、解読者は閉口することになるらしい。

 龍樹の存在はまるで私のようだ。とある本には「普賢菩薩」とかかれてあった。龍樹のような論理的思考をみにつければもうすこしましな文章を書くことができるのに、と学会の最中に痛感した。