やはり8月23日京都帰還説は絶望的であった。

 私は8月23日に京都に帰還することができなかった。8月23日付近はバレエ関係の催しがあったうえにバイオリンの稽古日であったのであるが、体調が夏ばてによって急降下してしまって身動きがとれなくなってしまった。バレエのレッスンに関してはもう周囲のレヴェルがおこさまむけとは程遠いレヴェルになってしまったので今後けいぞくすることが困難になりそうである。
 
 今後は古典のバレエ演目を観ることに限られてくるかもしれない。ユングの心理学を活用して神話解釈に乗り込んでみようともくろんでいる。古典のバレエの演目には決まった振り付けと物語が存在しその解釈は深層心理学者の介入が台頭している。とくにフロイトの世界ではそれが顕著である。しかし、いまだユングの世界の人間が物語の解釈をこころみたことはまだない。
ユング心理学はかなり難しいという印象がぬぐいさることができない。なぜならば、ユング心理学ユングの独創的な宗教との体験を併せ持っており、理解することが後期のユングに行けばいくほど困難なためである。

恩師には大学の研究室でおもしろい示唆を受けた。「これは精神分析である」ということを言葉を持ちいずに示唆された経験があるのである。いつも先生のオフィス・アワーは2時30分から開始される。私は哲学の疑問を解決するためにとことこといくのであるが、そこにはいつも誰かがやってくる。先輩や事務のひとなど多種多様である。

私は先生をみつめている。先生は質問がはじまると椅子をどっこいしょと引き寄せて脚をのせて寝椅子にする。そして話を聞き始める。
「そう、そう、たいへんだね。そうなんだ・・・・・それで・・・・そう」
と私はこれは精神分析ではないかとうすうす感ずいた。
フロイト派の精神分析は患者を寝椅子にのせて患者の思うがままにしゃべらせるという手法をとるが、
ユング派は患者と同じ視線で対等に対話をもちいていくというちがいがある。

この先生のやり方を見る限りユング派でありフロイト派の精神分析である。フッサール現象学ハイデガーの思想をカンセリングや精神分析のなかにとりいれたいと私は考えている。

それにはもっと体験が必要である。神話の分析をしなくては・・・。