カフカ的小説「美を求める男」

 その男は美を求めていた。友人に「美を求めることは大変あぶない。なぜならば、『苦悩』を求めることに等しいためだ」と言われ、口ごもった。友人は論理学者だった。男は小説を書いていた。男は論理的な思考と演説をすることにコンプレックスをいだいていた。そのために他者に<思い>を口に出すことがなかなかできず、感情を深い河に投げ込んだまま日常をすごしていた。
 ある日、男は座談会に出ることにした。座談会には小説家や心理学者やゲーム理論の専門家がいた。男はゲーム理論の専門家から人間関係の<こつ>を学び、身体理論や介護にむすびつく自然に根ざした解剖学を座談会にいた医師のもとで定期的に学ぶようになった。座談会において心理学者から対話やイメージがどれほど身体理論において重要であるかを学んだので、医師との対話は倫理学に立脚した<やわらかなもの>となり、男がスイスで解剖学や心理学を学んで母校や、さまざまな学びの「場所」での実践的な<教育哲学>の土台となった。
 大学で「臨床哲学」としての臨床経験を積んだのちに男は大学周りにある高等学校へ<出前>の「臨床哲学」をおこなうことになった。男はフランス文学やロシア文学を<噛み砕き>若人たちに、まるで落語のようでもあり、なんだかわけのわからない<わざ>で講義をおこなっていった。男の講義は一回千円か、あるいは<こころもち>での「お金」での講義であったために、老いも若きも集うことができた。
 男の講義録は原稿用紙の裏の<白紙>に細かい字でびっしりと書かれていた。ニーチェプルーストトルストイなどをカクテルしたもので、男は自信が無く、講義録を書いたあとも「はたして私のやっていることは意味があるのかなぁ、美学とどうむすびつくのかなぁ」と迷いながら講義録を書いていった。
 ヘーゲルハイデガーでさえも講義録を書くことに<魂をこめた>のだから<未来>の某かのためにはなるだろうと大学の教師や医師と講義録を見せ合ったり、対話したりして「臨床哲学」の未知なる可能性に挑んでいった。
 男にはとにかく美を追求するための書物を買うための<お金>がどうしても必要で学生時代に全てやり遂げなくてはならないという<責任>を感じていた。「無から有を生み出すいとなみ」はすなわち『魂の教育』にむすびつくものであり、哲学の伝統を受止める者の十字架であり、禅の公案なのであった。仏教の師と弟子の関係は芸道の理論と通じるものがあり、仏教のなかの禅体験とつなげていきたい、と男は考えていた。
 しかし、男はきわめて「のらくらもの」であった。夏は暑いためにぐーすかと眠りこけ、夜にむくむくと起きて論文やおとぎばなしを書き散らしていった。
 ある日、論理学者とゲーム理論の専門家から心理学に「論理学」と「ゲーム理論」をカクテルしてはどうか、と言われたので男はどうすべきか悩んだ。男はバーテンダーのアルバイトをして、論理学者とゲーム理論の専門家とホワイトボードをつかったり、ドイツ語で対話しながら考えた。そのうち、また男はスイスへ行ってそして、ドイツに西田幾多郎の哲学を紹介することになったそうな。

不眠症ですが、小説やわけのわからない駄文を書き付けると主観が客観に変化するかていが自己に「わかる」らしく他者のためというよりもむしろ自己のために書き散らしているようです。スポーツの世界でも<こつ>を自己の「語り」において<書きとめる>ことによって上達が向上するそうです。螺旋状の上昇曲線は行為と論理の<あいだ>の倫理において初めてあらわれてくるみたいです。例えば、サッカーにおいて「あと2センチボールに対する足の甲のタッチングの感覚を磨くとパスの精度が向上するので、これからの課題はそのことに集中しよう」とか体操競技において「ひねりわざの着地の回転中に照明や天井の染みを目印にして安心感をもつとぼくは安全なこころもちで演技ができるから鉄棒や平行棒の練習の課題にしよう」など具体的なことを「練習ノート」に書くと自己は安心します。他者にはわかりませんが・・・・・・。