借りぐらしのアリエッティ

 毎日、哲学書にむきあっているとクレイジーになるので気分転換に映画をみることにした。哲学するとおなかも減るし魂も疲弊する。ジブリの映画はおこさまに回帰してくれる。小人を見た経験が何度かある。それは陸上競技で極度に疲れて眠れなかったときである。うつらうつらと目をあけるとパソコンのコードの隙間に小人がいたのである。まさに宗教体験といえるであろう。
 リリパットは学校時代教え子に「先生の教え子はどんなかたですか」という問いに無愛想のきわみで「手のりだよ」と答えていた。実際はそんなことはなく小学校の国語の優秀な先生としててきぱきと仕事をこなしています。
 
 命がけで角砂糖を人間界から盗むシーンは手に汗握るものであった。小人の世界ではビスケットがパンの材料となり、街針が一寸法師の剣となる。「人間にみられてはならない。」のキャッチフレーズが妙に気になった。とあるせんせいに
「やっと人間の生活ができました」
と報告したら
「最高ジャーン、みんなその生活ができなくて四苦八苦しているんだよ」
下宿には小人がいる可能性がかなりたかい。鍵をかけわすれることがおおいし、意味不明なポスターや本が散乱している。

 『床下の小人たち』原作者のメアリー・ノートンさんは幼いころ極度の近眼でみんながみえているものがみえなくて、みんながみえていないものがよくみえた、そのことが小人の世界観を形成したのだなぁと私は深く感慨に浸ったのです。

岩波少年文庫の『くまのぷー』も石井桃子さんのエピソードがテレビでやっていました。
石井さんの友達は重い肺炎をわづらっていました。余命いくばくもありません。しかし、その友達は石井さんに『クマのプー』を最後まで語りかせてとしきりにせがみます。
「わたしは天国にいったら天国にいるこどもたちにこのおはなしをきかせてあげたいのだから暗記するからきかせておねがい・・・・・・」
石井桃子さんの友達は天国に旅立ってしまいましたがその意思はかつら文庫に伝承されています。

すぐれた御伽噺をよむことは哲学を伝承していくうえでたいせつなことかもしれません。
ホビットの冒険』や『アンナ・カレーニナ』を御伽噺として読んでいこうとおもいます。