母はケインズでありユング

 私の母はケインズでありユングでもある。お金に関してはミクロ経済を学んでいないにも関わらず、家計に厳しい。
「今月いくらつかったの」
「お金つかってないでしょうね」
「本買ってないでしょうね」
「遠くにいってないでしょうね」
「物増やしていない?」
「今月3万もおろしてお前はなんて異常なの」
と重箱の隅をつつくように経済のことをたずねる。あたりまえだ。
「もっと、経済観念をもちなさい!」
と怒鳴れれたので私は経済学者の落語会に出席したのである。そこではじめてケインズなる古典経済学者の存在を知った。
ケインズの自伝によるとケインズ自身はバレエや絵画の鑑賞が好きであったらしい。私ににているし、母にも似ている。
母も絵画を見るのが好きである。とくに竹久夢二。前衛芸術は嫌いらしく
私が京都の前衛芸術のウイリアムケントリッジの展覧会につれていったところ
「わかんない、つまらない」
とぶー、ぶー文句をいっていた。
それならば、京都国立博物館のハプスブルグ家の展覧会ならどうだ!学生証見せれば無料だし、母は無料に大喜び。
「これがかの有名な放蕩息子。私のことである。これはプラトンの像、私の大学の先生の研究分野だよちょっと小さいけど」
そして考える像を親子で見つめてどうだ満足したかいといったら
「あれ(ケントリッジ)よりはまし」
とぼそり。芸術にうといのか善い眼をもっているのかいまだに私の母にたいするイデアはわからない。
家族こそ一番不可思議な存在なのかもしれぬ。