西田幾多郎を吟じる

 私は西田幾多郎の『思索と体験』を吟じている。この体験がなにがしかの原体験になるとおもわれる。それにしても激流がつぎからつぎへとやってくる。命綱はフッサール西田幾多郎である。バイオリンもなんとか楽譜をみながら弾くことができるようになってきた。
 雑誌の占いでは「人の悪口を言わないように注意」と書いてあったおもいあたるふしが多すぎる。<気>をつけないといけまい。