2010-06-01から1ヶ月間の記事一覧

運動の美意識の問題

リリパットはCosmos Universityの修士課程時代、ウルトラCレベルの不可思議な論文を書き上げた。私は高校時代その論文を見た。あまりにも畳が広い論文だったので壮大な人間でロマンチストなんだなぁと魂の奥底でつぶやいた。しかし、その論文はマルティン・…

リリパット電話相談

私は困ったことがあるとリリパットに電話する。リリパットはフロイト主義者なので現実的な回答を論理的に述べてくれるのでありがたい。私は夢みがちで就職のことも占い師に 「ふつーの世界との接点を持つように」 と諭された私はそうとうヤバイ。 「お前の鍍…

ウィリアム・テルの落語を終えて

西田幾多郎という犬の取り扱いがわかったような気がした。私自身が動かないと西田幾多郎という名の犬は動くことはない。下宿で本を朗読したり座禅を組んだり、鴨川と下宿でバイオリンの稽古を積んでいるがはたして未来にどうえいきょうするのかわからない。 …

ウィリアム・テル落語会

ウリィアム・テルの落語会は真剣な眼差しでみつめている人間が多く、研究者の存在理由を説かれた心持がした。西田幾多郎の壮大なる小説をかくためのエッセンスをまなぶことができたのでうれしかった。 口述筆記より ☆岩波文庫の『純粋経験の哲学』ウィリアム…

自力と他力

自力が満ちると他力がおっこらせっせとやってくる。清澤満之の根本思想のエッセンスである。清澤満之はわが大学の初代学長で哲学科の大先輩であるが、かなり思想を実践することにかけては惑星一の才能にめぐまれていたらしい。 ミニマム・ポッシブルと称して…

無理筋のシナリオ

私の人生のシナリオはいつも無理筋、困難と激流にもまれてきた。中学、高校、大学といつも正常からひとつ違った道を歩んできた。 中学時代、走ることが苦手という意味不明の理由で陸上部へ、あれよあれよというまに東部選手権大会まででるはめになる。周りの…

ウイリアム・テル落語会

6月24日にウイリアム・テルの落語会がわが大学で開催される。私は倫理学と心理学のあいだについても魂の源で考えているので参加するつもりである。西田幾多郎のことが百万分の一くらいはわかるような気がする。 弁士は私が蚊ならば象なみの語学力をもって…

バレエ告知

6月26日に東京で能楽とバレエをカクテルした公演がひらかれるらしい。私は魂の観照のために出かけるつもりである。集中講習会がザイン・ホース・ドラゴン・チャイルドバレエ団主催で開かれるようなので、私も参加することにする。問題は魂がそれに持ちこ…

ドストエフスキー朗読会

私はドストエフスキーの朗読会に参加したい、しかし問題がある。根性がいる。 ①『白痴』 ②『悪霊』 ③『カラマーゾフの兄弟』 このなかで実験てきにひとつを決定し、夏休みに実践倫理を考察するうえでやってみたいのだが、なにしろドストエフスキーの作品は魂…

単位問題

私は単位をとっていない。前期の単位はガンジス河と鴨川にさらりと流すことにした。後期からぼっちら、ぼっちら出席し、<卒論を書くために>大学を卒業することにする。大学院はそのあときめる。リリパットは 「大学院なんかいくな、就職あるのかよ」 無愛…

<人間関係相談室>構想

われわれの大学に<人間関係相談室>をこしらえたい。そこには私と私の下宿の大量の深層心理学の書籍をぶちまけることにする。できることならば、9〜10月にできてほしい。これはわが大学のゴッド・ファーザーにその智慧を拝借したほうがよさそうである。 …

中学時代のカリスマK

私の中学時代にカリスマがいた。その名はK。原付バイクのかっぱらいかたを黒板でせつめいし、何食わぬ顔で立て看板を教室にもちこんだK。 Kの言動にみんなは酔っていた。当時の先生は理科の先生、趣味はスキーでスキーの遠足のときに 「ボーゲンはこうでパラ…

オウマ病院

京都にオウマ病院が有る。私は足の折れた競走馬がやってくるとおもったら、そこには一匹の馬もいなかった。祇園には競馬場が有るのにどうしてオウマ病院には馬がいないのであろうか。これは永遠のテーゼである。 オウマ病院の院長はそれなりの権力がある。私…

オットークレンペラーとフルトヴェングラー

私の目標とする指揮者はオットー・クレンペラーとフルトヴェングラーである。ふたりは人間の魂の研究に必要不可欠な人間である。人間として私はそんけいしている。 オットー・クレンペラーの存在とフルトヴェングラーの存在を足してに2で割った存在に私はな…

風俗の哲学

私は風俗で哲学演習する。 「あなたは何が好きですか」 「マンガが好き」 「マンガの何が好きですか」 「世界観」 「その世界観とは何ですか」 「絵がきれいなこと」 「どうして絵がきれいなことがすきなのですか」 「現実逃避ができること」 「どうして現実…

京都のアンダーグラウンド

先斗町は京都のアンダーグラウンドである。キャバクラや風俗や飲み屋がひしめきあっている。<徳>が減りそうでいこうかいくべきかかなり私の魂は悩んでしまう。 風俗は時たま行く。金がかかる。人生の厳しい境遇に落在し、哲学するソクラテスの境地にいたる…

中学のマドンナ

マドンナ的な存在はどこにでもいる。私はかつて中学の女の子に惹かれたことがある。その方はシューベルトの『魔王』をみごとにひきこなし、長距離を得意とした。 勉強もできて、運動神経も抜群で、音楽の才能もある。これほどのマドンナはなかなかいないが、…

世界的な引きこもり 西谷啓治

世界に通用する引きこもりってだーれだ?といわれたら私は西谷啓治とこたえる。西谷啓治は学校に行かずドストエフスキーやトルストイの作品をそしゃくし、論文や著作を猛烈な勢いでかきまくり、猛烈な勢いで落語をやってのけた。 その姿は後光がさしている。…

コンダクター 西田幾多郎

私の愛してやまない日本の哲学者は西田幾多郎である。石川県までその顔を拝みにいってきた。黒いふちの眼鏡、独逸語の辞書、聖書そして部屋には「一日善いことをしないと何も食ってはならぬ」 という意味の書がかかげらえてあった。自他ともに厳しい人間なん…

天才ラッパー 鈴木大拙

私は高校時代、引きこもって鈴木大拙の講演会のCDを聴いて自己啓発されていた。鈴木大拙のマブダチは西田幾多郎とポール・ケーラスである。 「わたしゃ、学校いったきおくねぇ、しかし善く座禅を組んだ」 鈴木大拙はそう語っていた。鈴木大拙はイースタン・…

『のだめカンタービレ』パート②

フランツ・フォン・シュトレーゼマンの発言はなかなか哲学的である。 「オケは一日にして鳴らず」 「日本の伝統ソデノシタ」 猛烈に勉強をしたあとのブレイク・スルーのかたち、そう賢者なのである。アルティメットばかり見つめている人間の私にはフランツ・…

リリパットと不可思議な仲間たち

リリパットは不可思議な仲間がいるその人間たちを書いてみようと思う。まず、アイルトン・セナ。この人の実名を明かすと世界がゆれるので実名は明かさないことにする。ここから書き綴ることも裁判沙汰ぎりぎりのことである。 アイルトン・セナは学生時代留年…

バイオリンの稽古

バイオリンの名前は<二コマコス>である。もし私が死んだら、棺桶のなかにいれてもらいたい品物である。品物といったら失礼にあたる。なぜならば、<二コマコス>は魂があたえられた奇跡の楽器なのである。 バイオリンの初稽古は私の所信表明から幕が上がっ…

散歩

私の趣味は散歩である。京都の町並みを見て歩くだけで鬱憤が晴れる。百万遍あたりの古本屋によく出かけて安めの哲学や心理学のお宝本を買ってしまう。それは図書館にあるであろうと天使が言うといや本に書き込みをするなら買いたまえと悪魔がささやく。 私は…

『パリ・オペラ座のすべて』

この映画は何度見ても笑いと涙が魂からあふれてくる。 「プリエ、ソフト、ソフト」 と冒頭基礎レッスンのシーンが登場する。指導者は英語ではなしている。バレエの指導者は指をパチン、パチンとならすのがかなり好きらしい。 熟練の指導者は座ったまま会議を…

下宿の存在

下宿は汚い、このことは自明の理である。ポスターはジョージ・バークリの肖像画以外、母にすべて剥がされてしまった。現在はバレエのカレンダーと音楽のカレンダーが壁にはっており、私自身が書いた下手糞な「美」の字が張ってある。そして、布団のそばには…

『のだめカンタービレ』パート①

私は『のだめカンタービレ』を眠る前に真剣に観ている。なぜならばもうすぐバイオリンの稽古がはじまるからである。千秋真一と野田恵の純愛ストーリーは実におもしろい。 千秋真一はバイオリンがうまい。そのへんの人間よりもすごくうまい。ピアノ科に在籍し…

映画と精神分析

レンタルビデオ店でかりたDVDは精神分析の教材とおもって観ているので、他者との対話で食いちがうことが多いようである。特に『ゴッド・ファーザー』は精神分析家を目指す人間は観たほうが善い。ヒステリー症状やいろいろな分析対象があらわれてくる。 次に…

黴と蚊

黴の香りは冷蔵庫用の墨の脱臭剤とトイレ用の墨の脱臭剤を部屋に設置することにより、なんとか人間が生活していくことのできる領域までもってくることができた。問題はときたま現出する蚊である。殺すか否かで私はとまどわずにはいられない。人間が生命を殺…

朗読

私は『歎異抄』の現代語訳を朗読している。如何に私が怠け者で親鸞聖人が苦労してわたしたちのところまでおりてみ教えをといてくださったか、そのことがよくわかり、<自力>と<他力>の違いがよくわかる。すばらしい本である。西田幾多郎が「歎異抄はすご…